親鸞聖人御入滅之地(しんらんせいじんごにゅうめつのち)は、浄土真宗を開いた親鸞聖人が死去されたところ
鎌倉時代中期、親鸞聖人が晩年、妻 玉日君(関白 九条兼実の娘)と過ごされたところで、
関白 九条兼実の別墅(べっしょ)月輪本庄花園殿だったところ
現在は、光圓寺となり、門前に石碑が立つ
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、鎌倉時代初期の僧
浄土宗開祖 法然上人を師と仰いで、「真の宗教である浄土宗の教え」を継承しさらに高め、各地に念仏道場を設けて教えを広める
1247年(皇紀1907)寛元5年
「顕浄土真実教行証文類」(教行信証)が完成する
後に、これが浄土真宗の立教開宗とされる
1262年(皇紀1922)弘長2年11月28日
妻 玉日君(関白 九条兼実の娘)と過ごしていた月輪本庄花園殿(現在の光圓寺)で死去する
親鸞聖人の教えによる念仏集団が、浄土宗他派からの攻撃を受け、宗旨として確立され、浄土真宗の開祖とされる
1876年(皇紀2536)明治9年11月28日
明治天皇より「見真大師(けんしんだいし)」の諡号を追贈される