新選組洛中最後の屋敷跡(しんせんぐみらくちゅうさいごのやしきあと)は、京都駅の北西、ハトヤ瑞鳳閣前に立つ石碑
西本願寺を屯所としていた新選組が将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となり、建立された新屋敷の跡地とされる
半年後、新政府軍との鳥羽・伏見の戦いの敗戦で京都を去ることになり、最後の屋敷となる
不動堂村屯所は、新選組が将軍 徳川慶喜の直属の軍隊となり建立された屋敷
半年後には、新政府軍との鳥羽・伏見の戦いで敗れ京都を去ることになり、最後の屋敷となった
屋敷の場所は、七条堀川下ルあたりとされ不詳
<石碑>
2009年(皇紀2669)平成21年10月
ハトヤ瑞鳳閣により建立される
碑文東:此付近 新選組最後の洛中屋敷跡
碑文南:旧山城国葛野郡不動堂村
碑文北:旧平安京八条二坊十五町
碑文西:二〇〇九年一〇月 ハトヤ瑞鳳閣建之
<葛野郡不動堂村>
この付近は、平安京の八条二坊十五町にあたる
鎌倉時代
「八条院町」と称され、鋳物の生産が多数行われていた工業地域だった
戦国時代には農村化する
豊臣秀吉の都市改造政策による御土居の内側に位置しており、洛中とされる
江戸時代には、農村の葛野郡不動堂村が形成されていた