角倉了以翁顕彰碑(すみのくらりょういおきなけんしょうひ)
角倉了以翁顕彰碑(すみのくらりょういおきなけんしょうひ)は、角倉了以が開削した高瀬川沿いの木屋町通に立つ顕彰碑
立誠小学校跡の玄関脇にあり、近くには「高瀬川の沿革」も掲示されている
大きな鍬(くわ)を手にした角倉了以の胸像がある
1985年(皇紀2645)昭和60年
高瀬川開削三百七十五年記念として建立された
角倉了以(すみのくらりょうい)は、朱印船(角倉船)による海外貿易や、技術と工夫を駆使し河川疎通事業を行った豪商
江戸時代初期
1606年(皇紀2266)慶長11年
保津川(大堰川)に船が通れるよう開削する
1611年(皇紀2271)慶長16年
方広寺大仏殿再建の資材を運搬するため、
鴨川から水を引き
伏見に達する
高瀬川を開削し、京都−伏見間の水運を開通させる
明治維新後
角倉家は
高瀬川支配を罷免され、
京都府に移管される
大堰川(保津川)を望む
大悲閣に木造座像・角倉了以顕彰碑が立てられている
角倉了以・
角倉素庵父子の墓所が、
二尊院にある
【角倉了以の関連史跡】
<
大堰川(保津川)>
1606年(皇紀2266)慶長11年の開削
<
高瀬川>
1611年(皇紀2271)慶長16年
<
角倉氏邸跡>
木屋町通二条下ル西側一之舟入町
<
角倉了以別邸跡>
木屋町通二条下ル東側東生洲町
<
二尊院>
角倉了以・
角倉素庵父子の墓所
<
大悲閣>
木造座像・角倉了以顕彰碑がある
【アクセス】
市バス
四条河原町 徒歩約5分
阪急電車 河原町 徒歩約5分
【京都検定 第11回3級】
【京都検定 第15回3級】
【京都検定 第1回2級】
【京都検定 第4回2級】
【京都検定 第5回2級】
【京都検定 第9回2級】
【京都検定 第11回2級】
【京都検定 第13回2級】
【京都検定 第19回2級】
【京都検定 第2回1級】
【京都検定 第8回1級】
【京都検定 第10回1級】
【京都検定 第13回1級】
【京都検定 第17回1級】