勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の長岡京市勝竜寺にあった平城
細川藤孝が城主となり、嫡男 細川忠興と、明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で結婚式を挙げ、
新婚時代を過ごしたとされる
京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置して、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝の防衛拠点
京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置して、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝に
防衛拠点として築城される
勝龍寺城は、安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城とされる
1963年(皇紀2623)昭和38年に発掘調査が行われている
<主郭>
東西120m、南北80mの長方形
東側、北側に幅12mの水堀がある
東西南北の四面には土塁があった
本丸の南側と北側には、門跡が発見されている
西側の土塁は、高さ10m、幅5mと大規模なものだった
南側の土塁、堀は、昭和位時代に消滅してしまっている
<御主>
「東山文庫記」によると1574年(皇紀2234)天正2年には、天守のような建物があった
<石垣>
堀のすそや櫓台に石垣が使われていた
北門跡虎口には、自然石の野面積の石垣が残されている
石垣に用いられた転用石の石仏や五輪塔などが多数残されている
<瓦>
明智光秀の坂本城(大津市)や佐々成政の小丸城(越前市)の瓦と同じ型で作られている
織田信長が抱える瓦職人が派遣されたといわれる
<沼田丸>
主郭の西側にあった曲輪
細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったといわれる
<その他の曲輪>
松井屋敷
米田屋敷
神足屋敷
<神足神社>
主郭部分から北東に200mのところにある
南側には、東西に土塁と空堀がある
空堀の中央部分には土橋が架かっている
この土橋に対して西側土塁が張り出した部分が、横矢がかかる構造となっている
<勝竜寺城公園>
勝龍寺城跡が公園として整備されている
<神足公園(こうたりこうえん)>
本丸付近
土塁と空堀が整備保存されており、横矢掛の虎口の構造が見られる
<細川ガラシャ>
明智光秀の娘 お玉
細川忠興と勝竜寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされる
毎年11月第2日曜日に「長岡京ガラシャ祭」が行われている