武市瑞山先生寓居跡(たけちずいざんせんせいぐうきょのあと)は、土佐勤王党の盟主 武市瑞山の京都滞在時の宅跡
各藩邸や志士の寓居が多かった木屋町通御池下ルに石碑が立ち、
近くには、佐久間象山寓居跡・吉村寅太郎寓居跡もある
ちりめん洋服発祥の地と、吉村寅太郎寓居跡の石碑が並んで立っている
武市瑞山は、幕末の土佐藩郷士で、江戸で学び尊王攘夷を志し土佐勤王党を結成した盟主
通称は、「武市半平太(たけちはんぺいた)」
後に、「柳川左門」と改名する
位階は、贈正四位
土佐藩内では、公武合体派が主流であったが、それらを退け藩論を尊王攘夷に導いた
1862年(皇紀2522)文久2年
藩主 山内豊範に従って上洛し、応接役としてこの地に住む
1863年(皇紀2523)文久3年
京都留守居役となる
八月十八日の政変により尊王攘夷派が弾圧され、9月に土佐で投獄される
1865年(皇紀2525)慶応元年
切腹を命じられる