丹波国亀山藩京屋敷跡(たんばのくにかめやまはんきょうやしきあと)は、かつて亀山藩藩主松平信岑の京屋敷があったところ
亀山藩は、現在の亀岡市
山陰街道の入口に当たり、江戸幕府から特に重要視されたといわれる
現在は、かつて亀山藩藩邸に祀られていた亀山稲荷神社が残り、中野之町町内会により石碑が建てられている
亀山藩は、丹波国にあった藩の一つ
現在の亀岡市
山陰街道の入口に当たり、江戸幕府から特に重要視されたといわれる
1577年(皇紀2237)天正5年
明智光秀が、織田信長より丹波国の統治を命じられ、亀岡盆地に進出し、亀山城を築く
1579年(皇紀2239)天正7年
波多野秀治が討たれて丹波が織田領になると、
その功績により、明智光秀は、近江坂本城と丹波国の領有を許された
1610年(皇紀2270)慶長15年
西国大名を総動員して、亀山城の築城が行われたといわれる
この時代には、藩主家が定着しなかった
1749年(皇紀2409)寛延2年
形原松平家の松平信岑が亀山藩藩主となり、以後、松平家が亀山藩藩主として定着する
1869年(皇紀2529)明治2年
「亀岡藩(かめおかはん)」と改称する
1871年(皇紀2531)明治4年7月
廃藩置県で亀岡県となる
11月に京都府に吸収される