寺田屋(てらだや)は、伏見南浜町の船宿
大阪と京都の淀川舟便(三十石舟や高瀬舟)の乗り換え船宿の一つだった
坂本龍馬ゆかりの宿
幕末維新のとき、多数の死者を出した2つの寺田屋事件が起こったところ
現在も旅籠として宿泊できる
<梅の間>
龍馬が宿泊していた部屋
<柱の刀傷>
<浴室>
寺田屋事件が起こったときに、おりょうが入っていたといわれる
<おりょうが駆け上った裏階段>
寺田屋事件が起こったときに、お風呂に入っていたおりょうが捕方に気付き裸のまま駆け上がった階段
<女主人 お登勢の部屋>
<坂本龍馬の像>
<寺田屋騒動記念碑>
庭の一番奥に建てられている
1894年(皇紀2554)明治27年の建立
藩主 島津久光によって殺害された急進派薩摩藩士9名を追慕して建てられた
有栖川宮熾仁親王の筆になる篆額(てんがく)
題字には「薩藩九烈士遺蹟志」と篆書で刻まれている
有馬新七・田中謙助・柴田愛次郎・橋口壮介・橋口傳蔵・弟子丸龍助・西田直五郎・森山新五左衛門・山本四郎
<龍馬君忠魂碑>
庭の中ほどに、横にして置かれている石碑
「贈正四位坂本龍馬君忠魂碑」と記されている
<恩賜紀念之碑>
6代目 伊助の女房で寺田屋の女将 お登勢
機転が利き、優しく、母親のように藩士たちを助けたといわれる
お登勢と寺田屋の由来が記されている
<お登勢明神>
坂本竜馬とお龍さんを結んだ女将 お登勢が、百年祭を記念して祀られた
若い男女の守り神とされている
<石標>
玄関前に立っている
1961年(皇紀2621)昭和36年
百年祭記念 第十四代当主安達清之建
「史蹟 寺田屋」「坂本龍馬先生遭難趾」と記されている
<伏見寺田屋殉難九烈士之碑>
玄関横に立っている
<井戸>
幕末維新当時からの井戸