常盤御前就捕処(ときわごぜんしゅうほのところ)は、平安時代末期、常盤御前が平氏に捕らえられたといわれるところ
伏見区西奉行町の公務員伏見合同宿舎に築地塀が造られ、石碑が立っている
平治の乱で敗北し都を落ち延びる道中で殺された源義朝の側室で、源義朝との3人の子供を連れて故郷の大和国に逃げていた
都に残った母親が捕らえられたことを知り、平氏六波羅第に出頭する途中に、平氏方に捕らえられたといわれる
伏見区西奉行町の公務員伏見合同宿舎に築地塀が造られ、石碑が立っている
この地は、江戸時代には伏見奉行所があったところで、その後、伏見工兵第十六大隊の駐屯地になっていた
近くには、伏見の名水の一つだった常盤井(ときわい)があった(伏見区桃山常盤町)
常盤御前が、今若・乙若・牛若(源義経)を連れて大和国に落ちのびる途中、常盤井で足を洗ったといわれる
<常盤御前就捕処の石碑>
所在地:伏見区西奉行町
建立者:工兵第十六大隊長佐藤正武
大きさ:高113 × 幅92 × 奥行39cm
碑文
西側:常盤就捕処
東側:従四位勲二等岩崎奇一題 頭角蔵懐未嶄然 竜門母子此** 老椎独在興亡外 雪虐風餐八百年
工兵第十六大隊長佐藤正武建
建碑者の陸軍大佐 佐藤正武は、
1909年(皇紀2569)明治42年から1912年(皇紀2572)明治45年まで伏見工兵第十六大隊隊長だった
2010年(皇紀2670)平成22年
かつて伏見合同宿舎の建物の前に立てられていたが、宿舎の建替えのために現在の地に移された
両側の塀には、旧伏見奉行所の石垣が用いられている