梅辻家住宅(うめつじけじゅうたく)は、上賀茂北大路町にある上賀茂神社に仕えた神主筋の社家 賀茂七家の一つ
明神川沿いに建ち並ぶ社家町は「上賀茂重要伝統的建造物群保存地区」に指定され、小橋や土塀など風情ある町並みを残している
梅辻家住宅は、江戸時代後期のものとされる伝統的な賀茂社家スタイルの建物の居室部に、
京都御所の学問所を座敷として移築増設されている
現存する賀茂七家唯一の社家の遺構
江戸時代後期
1839年(皇紀2499)天保10年
梅辻家住宅も現在の形になっていたといわれる
<建物>
居室部と座敷部とからなる
居室部は、南の正面に、身分の高い人の公式の出入口、入母屋造の式台がある
妻面(南)には、小屋裏まである柱と横木の貫(ぬき)があり、飾り社家住宅の様式となっている
建物の西にある内玄関は、入口が鳥居形となり、社家町の特徴の一つとなっている
手前には、供待ちの腰掛けがある
座敷部は、座敷と次の間がある
この二室は、江戸時代の京都御所の学問所を移したものともいわれている
座敷は、柱も天井も黒く塗った黒書院様式
北に押板風の床の間、東の付書院には花頭窓(火頭窓)がある古式で格式のある意匠となっている
天井は床指し(床の間に対して天井板を下から支える細い部材)が直角に取り付けらている棹縁天井が張られている
縁の床板は、直角に張られ、庭側に緩やかな傾斜がつけられている
床下に開けられた穴「竜の口」も、床下の水捌けを良くし、湿気を防ぐ工夫がされている
屋根には縦の樋がなく、軒先の雨水は、突き出た樋の先から庭の「雨おとし」に落ち、
雨おとしは、大小の石が敷き詰められ、雨水を地下に浸透させるようになっている
<装飾品>
江戸時代中期の真言宗の僧 契沖の書
江戸時代後期から近代の公卿、政治家 三条実美の額
扇面貼付屏風「源氏物語図」
屏風「花鳥図」
など
上賀茂神社の社家には、五官(神主・禰宜・権禰宜・祝・権祝)と、二十一職の社司、奉仕する氏人などがある
平安時代
賀茂県主(かもあがたぬし)の後裔という「賀茂十六流」の中からのみ、
上賀茂神社の世襲制の神職が選ばれていた
賀茂十六流:氏・平・清・能・久・俊・直・成・重・幸・季・保・宗・弘・顕・兼(後の経)
鎌倉時代以降
後鳥羽天皇の長子といわれる氏久の系統につながる家が独占したといわれる
<賀茂七家>
松下・森・鳥居大路・林・梅辻・富野・岡本
神主・禰宜(ねぎ)・祝(はふり)・権禰宜・権祝などの九職を務めていた
江戸時代
275軒の社家が存在したといわれる
明治維新
神職は、内務省神祇官の職となり、社司、氏人は解かれ、神主家七家(賀茂七家)の制度も廃止される