山本亡羊読書室旧蹟(やまもとぼうようどくしょしつきゅうせき)は、江戸時代後期に開かれていた私塾の跡
儒医 山本封山(やまもとほうざん)が、西本願寺 文如上人の学問所を下賜されて開いた本草漢学塾
次男 本草学者 儒医 山本亡羊が、薬の効用を研究するために薬草園を備え、読書室物産会も開催した
油小路通を五条通から上がったところに石碑がある
<山本家>
京都市歴史的風致形成建物
<山本亡羊読書室旧蹟>
下京区油小路通五条上ル西側に石碑が立てられている
建立年:1931年(皇紀2591)昭和6年
建立者:京都史蹟会
儒医 山本封山が、西本願寺 文如上人から、学問所である読書室をもらい受け、
油小路五条上ル金仏町の自邸に移して本草漢学塾の学舎とした
名前は、山本封山の書斎名「読書室」が由来
<本草学(ほんそうがく)>
中国の薬物学
薬用とする植物などの効能等を研究する学問
山本亡羊の師の小野蘭山(おのらんざん)が幕府の命で江戸へ出ると山本亡羊が京都学派の中心となる
山本亡羊は薬の効用を研究するために薬草園も造営した
83年間の入門者は約1600名
読書室物産会は、60年間に通算51回開催された
<関連資料>
2014年(皇紀2674)平成26年
山本家の土蔵で、山本読書室の膨大な資料が発見された