山名宗全邸宅跡(やまなそうぜんていたくあと)



所在地:京都市上京区堀川上立売下ル西入山名町   地図情報

 山名宗全邸宅跡(やまなそうぜんていたくあと)は、室町時代の武将 山名家の屋敷があったところで、
室町幕府の重職に就いていた山名宗全が、応仁の乱において、西軍の主将として本陣を置いたところ
 これにより、この地域が「西陣」と称されるようになった

 現在、行政上の「西陣」という地名はないが、この地の町名に「山名町」と残っている

 石標が、上京区堀川通上立売下ル一筋目北西角に立つ

山名宗全(やまなそうぜん)

 山名宗全(やまなそうぜん)は、室町時代後期の武将 守護大名

 1404年(皇紀2064)応永11年の生まれ
 名を持豊といい、後に「宗全」と号した
 赤ら顔であったことから、「赤入道」とも称された

 但馬(兵庫県)、備後(広島県)など数ヶ国の守護で、室町幕府の重職に就いていた

   応仁の乱
 1467年(皇紀2127)応仁元年
 将軍 足利義政日野富子夫人の実子 足利義尚(あしかがよしひさ)を擁しようと、
足利義政の弟 足利義視を後嗣にする管領 細川勝元らと対峙

 足利義視方の細川勝元らが陣を置いた今出川の花の御所が「東陣」に対して、
足利義尚方が陣を置いた山名宗全の邸宅が「西陣」と称される

 11年間におよぶ戦いが繰り広げられ、京都の町の大半は焦土と化した

 1473年(皇紀2133)文明5年
 山名宗全は、陣中で死亡する
 代々の山名家の邸宅も焼失する



【山名宗全邸宅跡へのアクセス】

 市バス 堀川上立売


【京都検定 第1回3級】

39.西陣織について、次のことは正しいかどうか?
(エ)「西陣」の名前は、応仁の乱で山名宗全らの西軍が陣地を敷いたことから名付けられた


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