御蔭祭(みかげまつり)は、下鴨神社で行われる賀茂祭(葵祭)の前儀の一つ
御蔭の地(比叡山西麓の御蔭山)において
下鴨神社の祭神の賀茂建角身命・玉依媛命の荒御魂(あらみたま)が御生され、神馬に遷し下鴨神社に迎える神事
第2代 綏靖天皇(すいぜいてんのう)のときに始まった、日本最古の神幸列といわれる
神事が斎行される場所が、東山三十六峰の二番目の山、洛北上高野の御蔭山の麓であったことから
「御蔭祭」と称されるようになった
1992年(皇紀2652)平成4年
徒歩と神馬による巡行が復活された
御蔭神社までの約20kmのコースを自動車で、一部は徒歩で巡行が行われる
午前9時半
葵の葉を付け、烏帽子(えぼし)、狩衣姿(かりぎぬすがた)の神職や伶人(れいじん)、氏子、神宝である楯(たて)・鉾(ほこ)・
弓などを持った供奉員(ぐぶいん)ら約150人が、神霊を迎える神馬(しんめ)と参列を連ねて下鴨神社を出発する
御蔭神社で荒御魂を移したあと、帰路は下鴨中通北大路の交差点から、神馬に遷され下鴨神社までの約1kmを歩いて巡行する
<御蔭神社行粧路>
本宮−御蔭橋−川端通を北上−花園橋−御蔭神社に到着
御生神事
御蔭神社を進発−新田街道南下−摂社 賀茂波爾神社(赤の宮)に到着
路次祭
摂社 賀茂波爾神社を進発−新田街道南下−河合社に到着
神事
河合社−切芝に入御
切芝神事
切芝−本宮へ
<切芝の儀>
糺の森で荒魂を迎えた喜びの儀
舞装束を着た舞人により、優雅な舞い「東游(あずまあそび)」が奉納される
祭の形式としては、日本最古の形式であるといわれる
切芝神事の後、神霊が本宮へ遷される
<唐鞍(からくら)>
平安時代の儀式の飾り馬に使われた中国風の馬具
黒漆や、金箔(きんぱく)、螺鈿(らでん)を施した飾りが施される
江戸時代前期
東山天皇により奉納され、1964年(皇紀2624)昭和39年まで使われてきていた
2006年(皇紀2666)平成18年
2年がかりで修復され、鞍には黒漆が塗り直され、螺鈿の一部も張り替えられた
馬の胴を覆う革製の大なめや、顔にあてる銀面、馬の背に乗せる雲珠(うず)、首にぶら下げる頸総(くびぶさ)に、金箔と銀箔が押し直された
明治の神社祭祀法より以前は、「御生神事(みあれしんじ)」と称されて、旧祭式で行われていた
現在の御蔭祭の神事は、新祭式で行われている
御生神事は、下鴨神社の創祀の祭
祭神である賀茂建角身命・玉依媛命の荒魂(あらみたま)が御生される
平安時代
新しい生命の息吹をうけて身も心もよみがえるという「御生の思想」が信仰されていた
「源氏物語」などにも「みあれ詣で」のことが記されている
<樹下神事(じゅげしんじ)>
早朝、禮殿(らいでん)において、解除(げじょう)が行われる
<歓盃(かんぱい)の儀>
本宮を出発するとき儀式
<御生神事(みあれしんじ)>
御蔭山の山麓の高野川に面した船繋ぎ岩「磐座(いわくら)」において、神おろしの神事が行われる
<路次祭(ろじさい)
明治制度改革までは、上下粟田郷のすべての総社で行われていた
現在は、摂社 賀茂波爾神社のみで行われる
<芝挿神事(しばさしのしんじ)>
糺の森
<切芝神事(きりしばのしんじ)>
神霊が糺の森の切芝に入御され、鴨社の創祀と伝承を詠楽によって奏上され、舞などが奉納された
1517年(皇紀2177)永正14年以前は、「古馬場」において行われていた
1694年(皇紀2354)元禄7年の再興後は、「東の馬場(現在の表参道)」で行われる