流鏑馬神事(やぶさめしんじ)は、下鴨神社で行われる賀茂祭(葵祭)の前儀の一つ
葵祭の道中を祓い清める神事とされ、下鴨神社で行われる最初の前儀
馬を走らせながら公家の狩装束姿の騎手が、「陰陽(いんにょう)」と声をかけ、3ヶ所の的を鏑矢で射ぬく神事
全国で行われている流鏑馬のなかでも、唯一、平安時代の狩装束姿での騎射が行われる
楼門内にて行列を組んで出立する
南口鳥居南庭で騎乗し、表参道を参進し、紅葉橋より馬場元に入る
馬場元から、女埒(めらち)と馬場殿の間を通り馬場末に進む
馬場殿にて長官代・馬寮頭代・宮司以下の神職・日記役・供奉者などは、各位置につく
射手は、騎乗し男埒(おらち)と的の間を馬場末より、各所役は射手に列行して馬場元向かう
馬場末約は、馬場末に残る
3ヶ所の的に各々の的役・矢執り・采揚げ・各射手の的持ちが一人ずつ位置につく
(埒(らち))
馬場元から見て向かって左側の的の立ててある方の埒(らち)が男埒(おらち)、右側が女埒(めらち)
糺の森に設けられた南北の全長360mの馬場に、
途中100mおきに設けられた3カ所の杉板の的(50cm四方の杉の板)を、次々と鏑矢で射ぬいていく
最初の三馳は、伝統によって「騎射(きしゃ)」と称される
近衛府(このえのつかさ)の大将が長官となり、近衛府の将監(じょう)や将曹(さかん)・馬寮(めりょう)の助や允(じょう)・
下鴨神社の氏人により、作法や装束、用具などが古来からの古式にのっとり騎射が行われる
その後、武家が狩装束を着け、流鏑馬が行われる
<作法>
各所役が所定の位置に着くと、馬場元役が、軍扇を掲げる
馬場末役は、同じ様に軍扇をかざして、馬場元役の軍扇に応える
一の射手は、馬場元の扇型に馬を進めて、揚扇を行う
扇を高く投げ、「陰陽(いんにょう)」と声をかけながら馳せて、一の的を射る
すぐ、箙(えびら)より、次の鏑矢を抜いて弓につがえて、二の的、三の的を射る
二の射手は、同じように馬場元・馬場末役の合図扇が終わると、馬場の扇型に乗り入れて馳せる
揚扇は行われない
三の射手は、同じように馬場元・馬場末役の合図扇が終わると、揚鞭(あげむち)を行い馳せ、的を射る
騎射が終わった一・二・三の射手は、馬場殿の前で騎乗のまま、片鐙をして神禄を長官代(近衛府大将)より賜る
射手は、これを受け、肩に掛けて馬上拝舞(はいぶ)を行い、馬場元へと帰る
(神禄)
桂に布の襷が掛けてある
一の射手は白色、二の射手は赤色、三の射手は濃色(紺色)の襷を賜る
1973年(皇紀2633)昭和48年
復興を機会に、騎射の伝統を受け継いだ公卿の流鏑馬の保存が図られる
会長:裏千家 家元 千宗室
支援:小笠原弓馬術礼法 宗家 小笠原清志ら、小笠原流同門会により奉仕されている
5月5日には、馬上からではなく地上で矢が射られる歩射神事が行われる