月鉾(つきほこ)は、祇園祭における山鉾の一つの鉾
鉾頭に、新月型(みかづき)を付け、真木の中程の「天王座」に月読尊が祀られている
江戸時代末期の大火でもほとんどの装飾品が焼失からまぬがれ「動く美術館」と称される豪華な鉾
最重量の山鉾といわれる
月鉾は、真木の中程の「天王座(てんのうざ)」に、夜と水徳の神さんの月読尊が祀られている
右手に櫂(かい)を持ち、月を仰ぐ姿で船に乗っている
「古事記」によると、月読尊は、
伊弉諾尊が黄泉の国(よみのくに)から戻って、阿波岐原で禊祓いをしたときに、右眼を洗ったときに生まれた神さん
左目を洗ったときに天照大御神が、その後、鼻を洗って素戔嗚尊が生まれたとされる
中国の伝説で月に住む男のことを「桂男」といい、かつては「かつら男ほこ」と称された
月鉾は、1864年(皇紀2524)元治元年の鉄砲焼けの大火でも、失ったのは真木だけで、細部にまでいたる様々な古い豪華な
装飾品が残され、「動く美術館」とも称される
<鉾頭>
田辺勇蔵寄進の18金製
1981年(皇紀2641)昭和56年から代えられている
横40cm・上下24cmの金色の新月型(みかづき)
旧鉾頭
「1573年(皇紀2233)元亀4年6月吉日大錺屋勘右衛門(おおかざりやかんうえもん)」の刻銘のものがある
1714年(皇紀2374)正徳4年の刻銘のものもある
<天王座>
真木の中程の天王座の下には、籠製の船が真木を貫いて取り付けられている
<天王の持つ櫂(かい)>
「1573年(皇紀2233)元亀4年6月吉日大錺屋勘右衛門(おおかざりやかんうえもん)」の刻銘がある
<屋根の棟先>
金色鳥衾で太陽の象徴である三本足の烏の丸彫りが、飛び出すように乗っている
<稚児人形>
1912年(皇紀2572)明治45年
3代目伊藤久重作の美少年人形「於菟麿(おとまろ)」に代えられる
<屋根裏>
金地著彩草花図(きんじちゃくさいそうかず)
1784年(皇紀2444)天明4年
円山応挙の筆で、初夏から初秋にかけての草木が描かれている
天井裏には、有職柄金箔押の緋羅紗地に小葵模様と贅沢が凝らされている
<天井絵>
源氏物語をテーマにした金地著彩 源氏五十四帖扇面散図(せんめんちらしず)
1835年(皇紀2495)天保6年
町内の富豪 岩城九右衛門(いわきくうえもん)の筆
現在の豪華な鉾を作り上げた立て役者といわれる
<破風蟇股(はふかえるまた)>
蟇股の波と兎の木彫り彫刻は、左甚五郎の作といわれる
波の上を走る白兎が彫られている
下の飾り金具には、星を背負った亀がいて、駆け競べの童話を表している
<軒桁貝尽くし(のきけたかいづくし)の錺金具(かざりかなぐ)>
松村景文(まつむらけいぶん)の下絵で、二枚貝や巻貝を象っている
正面には甲羅に九星の魔法陣の霊亀、後面に麒麟
<四本柱の風車文柱飾金具>
1835年(皇紀2495)天保6年の作の漆塗地の飾金具
<欄縁>
雲龍図
<上水引>
双鸞霊獣図(そうらんれいじゅうず)の刺繍
1835年(皇紀2495)天保6年、円山応震(まるやまおうしん)(円山応挙の孫)の下絵
<下水引>
一番は、皆川月華作の四面四季を表した花鳥図
旧一番は、西村楠亭(にしむらなんてい)の下絵の蘭亭曲水宴図(らんてきょくすいえんず)
1816年(皇紀2476)文化13年の作
二番・三番は、皆川月華作の魚尽し染繍
旧二番は、角龍金糸刺繍
旧三番は、「荒磯切の形也」という波に鯉の図
<前懸>
17世紀のインドのムガール王朝製の大柄なメダリオン絨毯
2000年(皇紀2660)平成12年に復元される
<胴懸>
右胴懸は18世紀のコーカサス段通、左胴懸は17世紀のペルシャ段通
<後懸>
インドのムガール王朝製のメダリオン絨毯
2000年(皇紀2660)平成12年に復元される
<見送>
染織繍の湖畔黎明図
紡錘状に描かれた立葵を中心に、湖で遊ぶ鳥たちの姿を遠山近泉の構図で表現されている
皆川月華の作
<町名>
現在は「月鉾町」
1889年(皇紀2549)明治22年までは、「扇の座町」と称されていた