錦神輿会(にしきしんよかい)は、祇園祭のメイン神事である神幸祭・還幸祭における神輿渡御に奉仕する団体の一つ
八角形の西御座を担当して担ぐ
八坂神社には、中御座・東御座・西御座・子供神輿の4基の神輿がある
神輿は八坂神社、轅や横棒はそれぞれの神輿会の所有となっている
<西御座>
祭神:八柱御子神 (素戔嗚尊の8柱の子)
形:八角形
重さ:約2トン
3基の中で最も大きいもの
<神輿洗>
7月10日夕方から
三基のうち中御座の神輿のみ、宮本組や四若神輿会らにより、八坂神社から鴨川まで担ぎ、鴨川の水で潔斎される
八坂神社に戻ってから、神輿庫から出された東御座、西御座とともに、宮本組・四若神輿会により、神輿の飾り付けが行われる
飾り付けられた神輿は、八坂神社の拝殿に安置される
<宵宮祭>
7月15日 午後8時頃 八坂神社にて
境内の灯をすべて消して浄闇の中で、舞殿に奉安されている3基の神輿に、それぞれ神霊が遷される
<神幸祭>
7月17日夕刻
八坂神社の3人の祭神が、それぞれの神輿会に担がれた神輿に乗って八坂神社を出発し、鴨川を渡り、
山鉾巡行で清められた各氏子町内を渡幸し、四条御旅所に渡御する
神輿は、八坂神社の舞殿の周りを3周してから出発する
三社揃い踏み
八坂神社の西門前に三基の神輿が「ほいっと!ほいっと!」という掛け声をかけながら集まる
差し上げ
「ほいっと!ほいっと!」という掛け声でそれぞれの神輿が高々と担ぎ上げられる
差し回し
神輿が高々と担ぎ上げられながら、時計回りに回転させられる
渡御の順路は、三基それぞれ異なり、17日と24日とでも異なる
八坂神社→石段下→四条通から大和大路を北→三条通から木屋町通を北→二条大橋を折返→二条通から寺町通を南→
三条通から河原町通を南→四条通から四条御旅所へ
神輿は、還幸祭まで、四条御旅所に安置される
<オハケ神事>
7月23日14時頃、御供社にて
還幸祭の奉饌祭の前日に神事斎行を控えて、お祭の無事が祈願される
御供社の社前に「オハケ」と称される、鳥居に向って右側に水辺を表す芝生を植え、神の依り代である御幣三本を立てて、
四隅の斎竹(いみだけ)を建て、御霊(みたま)が寄られる場所を清め、斎場をもうける神事が行なわれる
<還幸祭>
7月24日夕刻
御供社では、3基の神輿が安置され、神饌をお供えして饌祭(還幸祭)が行なわれる
四条御旅所→四条通から寺町通を南→高辻通を西→烏丸通を上がり四条通を西→大宮通から御池通を西→JR二条駅前→
千本通を下がり三条通を東→御供社での祭事→三条通を東へ、寺町通から四条通を東→東大路通下がり神幸道から八坂神社へ
<千団子振舞い>
7月25日14時頃、御供社にて
還幸祭の奉饌祭において、神前にお供えされた千団子を、無病息災のご利益があるお下がりとして振る舞われる
<神輿洗>
7月28日 午後8時半頃
神輿を鴨川の水で清め、八坂神社に戻り、神輿庫(みこしぐら)に納められる
<松尾祭>
錦神輿会が、松尾祭の神幸祭・還幸祭の手伝いも行っている
松尾大社には、大宮社、櫟谷社、宗像社、三宮社、衣手社、四大神社の6つの神輿があり、錦神輿会は三宮社を手伝う
松尾大社を出て、八条の川原まで行き、船に神輿を乗せて桂川を渡り、御前七条の御旅所(松尾三宮社)まで渡御する
1947年(皇紀2607)昭和22年
錦神輿会が壬生組から西御座の御神輿を託されたときに、松尾大社の三宮社に、縄の掛け方から担ぎ方まで教わった経緯がある
四条通の東端に八坂神社があり、西端に松尾大社があるという縁もある
<錦小路通>
四条通の一つ北をはしる東西の通り
「京の台所」と称される京都きっての市場となっている
<神輿迎え、祇園御霊会>
明治以前は、17日の神幸祭を「神輿迎え」、24日の還幸祭を「祇園御霊会」と称されていた
17日は、洛外にあった八坂神社から、洛中に入ってこられ御旅所に滞在されることから、
町衆が山鉾により厄払いをされる
24日は、神泉苑が神輿渡御の順路に含まれ、神輿に集まった疫神を水辺から冥界へ送る主旨がある