三条台若中(さんじょうだいわかじゅう)は、祇園祭のメイン神事である神幸祭・還幸祭における神輿渡御に奉仕する団体の一つ
六角形の中御座(なかござ)を担当して担ぐ
会所は、武信稲荷神社の斜め辻向かいにある
明治時代以前は、「三条台村」といわれていたところで、
元禄年間(1688年〜1704年)頃から、村の有志が「三条台若中」を組織して神輿渡御に奉仕してきたといわれる
組織作りに関わった家の男子が世襲し、現在に到っているといわれる
三条台若中(さんじょうだいわかじゅう)は主に2つの部門より構成される
<三若神輿会(さんわかしんよかい)>
儀式、事務など、すべてを統括している神事執行部門
<祇神会(ぎしんかい)>
財産管理部門
<三若みこし会>
三若神輿会の下部組織
800人ほどの輿丁(よちょう)(担ぎ手)が、10の会派に所属している
一基の神輿を担ぐには、300人ほどの担ぎ手が必要とされる
八坂神社には、中御座・東御座・西御座・子供神輿の4基の神輿がある
神輿は八坂神社、轅や横棒はそれぞれの神輿会の所有となっている
<中御座(なかござ)>
祭神:素戔嗚尊
形:六角形
重さ:約2トン
<2本の轅(ながえ)(担ぎ棒)>
長さ約10m、両端の大きさは縦16cm、横11cm
一度に約100人で神輿が担がれる
2011年(皇紀2671)平成23年に、約半世紀ぶりに新調された
4年前に、右京区京北町の神吉山で切り出された樹齢約140年の檜(ひのき)を自然乾燥させて作られた
より多くの人が担げるようにと、従来より約1m長くされた
<屋根の稲>
神輿渡御のとき、神輿の屋根に稲が飾られる
その稲は、神輿渡御の後に、熱冷ましの薬効や縁起物として輿丁の方や一般に分けられる
稲は、かつては、近江の篠原村から送られていた
戦後の一時期は、三条台若中関係者の田より奉納されていた
現在は、丹波下山の尾長八坂神社の神田の稲が奉納されている
毎年、5月の最終日曜日には、御田祭(おんたさい)(田植え神事)が行なわれている
<神輿洗>
7月10日夕方から
三基のうち中御座の神輿のみ、宮本組や四若神輿会らにより、八坂神社から鴨川まで担ぎ、鴨川の水で潔斎される
午後5時頃から、本殿で神輿洗奉告祭が行われる
その後、道しらべの儀
四若神輿会の若衆達が大松明を交互にかついで、八坂神社から四条大橋まで往復し神輿の通る道が清められる
午後8時頃
大松明が帰ってきたら、その火が4本の小松明に移され、中御座の神輿が、八坂神社からかつぎ出される
四条大橋で、鴨川の水が神職によって掛けられ、神輿と担ぎ手が祓い浄められる
一般の人々も、この神水をあびると流行病にかからないともいわれる
八坂神社に戻ってから、神輿庫から出された東御座、西御座とともに、宮本組・四若神輿会により、神輿の飾り付けが行われる
飾り付けられた神輿は、八坂神社の拝殿に安置される
<宵宮祭>
7月15日 午後8時頃 八坂神社にて
境内の灯をすべて消して浄闇の中で、舞殿に奉安されている3基の神輿に、それぞれ神霊が遷される
<神幸祭>
7月17日夕刻
八坂神社の3人の祭神が、それぞれの神輿会に担がれた神輿に乗って八坂神社を出発し、鴨川を渡り、
山鉾巡行で清められた各氏子町内を渡幸し、四条御旅所に渡御する
神輿は、八坂神社の舞殿の周りを3周してから出発する
三社揃い踏み
八坂神社の西門前に三基の神輿が「ほいっと!ほいっと!」という掛け声をかけながら集まる
差し上げ
「ほいっと!ほいっと!」という掛け声でそれぞれの神輿が高々と担ぎ上げられる
差し回し
神輿が高々と担ぎ上げられながら、時計回りに回転させられる
渡御の順路は、三基それぞれ異なり、17日と24日とでも異なる
八坂神社→石段下→四条通から大和大路を北→三条通から木屋町通を北→二条大橋を折返→二条通から寺町通を南→
三条通から河原町通を南→四条通から四条御旅所へ
神輿は、還幸祭まで、四条御旅所に安置される
<オハケ神事>
7月23日14時頃、御供社にて
還幸祭の奉饌祭の前日に神事斎行を控えて、お祭の無事が祈願される
御供社の社前に「オハケ」と称される、鳥居に向って右側に水辺を表す芝生を植え、神の依り代である御幣三本を立てて、
四隅の斎竹(いみだけ)を建て、御霊(みたま)が寄られる場所を清め、斎場をもうける神事が行なわれる
<還幸祭>
7月24日夕刻
御供社では、3基の神輿が安置され、神饌をお供えして饌祭(還幸祭)が行なわれる
四条御旅所→四条通から寺町通を南→高辻通を西→烏丸通を上がり四条通を西→大宮通から御池通を西→JR二条駅前→
千本通を下がり三条通を東→御供社での祭事→三条通を東へ、寺町通から四条通を東→東大路通下がり神幸道から八坂神社へ
<千団子振舞い>
7月25日14時頃、御供社にて
還幸祭の奉饌祭において、神前にお供えされた千団子を、無病息災のご利益があるお下がりとして振る舞われる
<神輿洗>
7月28日 午後8時半頃
神輿を鴨川の水で清め、八坂神社に戻り、神輿庫(みこしぐら)に納められる
<御供社(又旅社)(またたびしゃ)>
三条会商店街のにある八坂神社の遥拝所となる神社
敷地を削られる前の神泉苑は、この辺りまで境内が広がっていたといわれる
渡御においては、大政所御旅所以外で、唯一3基の神輿が合流する地となっている
7月24日19時頃より、三条通千本で神輿をお迎えする「お迎え提燈行列」、三条会商店街では「丹波八坂太鼓」「よかろう太鼓」
「八坂神社祇園太鼓」のお迎え太鼓の演奏がある
御供社では、3基の神輿が安置され、神饌(千団子)をお供えして饌祭(還幸祭)が行なわれる
<神輿弁当(道中弁当)>
7月17日、24日
早朝7時頃より、輿丁のための弁当打ちが行われる
精進潔斎した男衆の手で、約2500食が作られる
炊き立てのご飯を、特別に作られた杓子に盛り、広げた竹の皮に叩き付けて移し(弁当打ち)、黒胡麻塩をふりかけ、
沢庵(たくあん)と梅干を加える質素なもの
24日には、「疫病祓い」「安産祈願」として氏子の方々にも振舞われる
<駒形稚児>
上久世の綾戸國中神社氏子地区から選ばれた稚児
神輿渡御のとき、中御座の先頭に立ち神輿を先導する
綾戸國中神社の祭神は、素戔嗚尊の荒御霊(あらみたま)で、八坂神社の祭神の素戔嗚尊の和御霊(にぎみたま)と
合体する事により始めて祇園御霊会が成り立つといわれる
駒形稚児は、御神体の馬の形をした木製の駒形を、首に付けた瞬間に神の化身とみなされ、
皇族ですら下馬を要求される八坂神社の境内を馬に乗ったまま神前まで進める
長刀鉾稚児は、五位少将(十万石の大名の位)を与えられるが、駒形稚児には、神格が与えられる
<神輿迎え、祇園御霊会>
明治以前は、17日の神幸祭を「神輿迎え」、24日の還幸祭を「祇園御霊会」と称されていた
17日は、洛外にあった八坂神社から、洛中に入ってこられ御旅所に滞在されることから、
町衆が山鉾により厄払いをされる
24日は、神泉苑が神輿渡御の順路に含まれ、神輿に集まった疫神を水辺から冥界へ送る主旨がある