霰天神山(あられてんじんやま)(AraTenjinYama)

所在地:京都市中京区錦小路通室町西入天神山町   名所地図情報名所

山鉾:舁山(かきやま)

特徴:中央に唐破風春日造の小祠が安置されている

重要無形民俗文化財

別名:錦天神山(にしきてんじんやま)・火除天神山(ひよけてんじんやま)

重量:0.65トン(23位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

 霰天神山(あられてんじんやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山

 錦小路通にあるので「錦天神山(にしきてんじんやま)」とも称される

【霰天神山の歴史・経緯】


【霰天神山の由来】

 永正年間(1504年〜1521年)
 京都の大火のとき、霰(あられ)が降って大火がたちまち消え、そのとき、霰とともに降ってきて屋根に止っていた
一寸二分(約3.6cm)の天神像を祀ったのが由来

 このことから「火除天神山(ひよけてんじんやま)」とも称される

【霰天神山の装飾品】

 <小祠>
 欄縁にそって朱塗り極彩色の回廊(かいろう)がめぐらされ、
 中央に唐破風(からはふ)春日造の本殿が安置されている

 <前懸>
 1981年(皇紀2641)昭和56年から新調
 中国刺繍の太湖岩鳳凰図

 <旧前懸>
 毛綴(タペストリー)
 トロイの王子が妻子に別れをつげる「トロイア王子へクトールと妃アンドロマケー・息子アスチュアナクスとの別れ」
 16世紀(1580年から1620年頃)にベルギー ブリュッセルの職工 ニケイズ・アエルツによって製作された
 江戸時代初期に輸入されたものといわれる
 5枚シリーズの2枚目で、鶏鉾の見送にもなっている
 3枚目は、鯉山の「トロイア王プリアモスと王妃カペーの祈り」
 5枚目は、白楽天山」の前懸の「トロイア陥落図」

 <胴懸>
 中国綴錦の牡丹胡蝶文(こちょうもん)

 <見送>
 雲龍文綴錦





【神事】

 <聖護院山伏参詣>
 16日
 聖護院門跡の山伏約30人が、六角堂を出発し、法螺貝を吹き鳴らし、錫杖(しゃくじょう)を響かせながら、
修験道に縁のある7つの山を巡拝し、御神体の前で般若心経を唱え、巡行の無事や町内の発展を祈願する



【霰天神山の保存・運営】

 <会所家(京都市指定有形文化財)>
 天神山町会所には、会所家・土蔵・大日堂が建つ
 表通りに面した門を入ると、狭い路地に面して奥に会所家が建ち、その奥に庭をはさんで、土蔵と大日堂が並ぶ
 祇園祭町会所の典型の一つとして貴重なもの

 1793年(皇紀2453)寛政5年
 現在地より西寄りの場所から、現在の地へ移る

 会所家は、「町席」と称する十畳の座敷に釣床を設け、玄関には式台を備えている
 1886年(皇紀2546)明治19年頃の建立

 土蔵の中には天神祠が安置されている
 江戸時代後期の建立

 大日堂は、庭の北西隅に建つ
 会所家と同じ頃の建立といわれる

【その他】

 <御守>
 由来にちなみ、宵山には「火防せ(ひふせ)・雷除け」の御守が授与される

 <重要無形民俗文化財>
 1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
 橋弁慶山・霰天神山・山伏山北観音山放下鉾役行者山の7山鉾町内


【霰天神山へのアクセス】

 市バス 四条烏丸 徒歩数分
 阪急電車 烏丸駅 徒歩数分
 地下鉄 四条駅 徒歩数分

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