霰天神山(あられてんじんやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山
錦小路通にあるので「錦天神山(にしきてんじんやま)」とも称される
永正年間(1504年〜1521年)
京都の大火のとき、霰(あられ)が降って大火がたちまち消え、そのとき、霰とともに降ってきて屋根に止っていた
一寸二分(約3.6cm)の天神像を祀ったのが由来
このことから「火除天神山(ひよけてんじんやま)」とも称される
<小祠>
欄縁にそって朱塗り極彩色の回廊(かいろう)がめぐらされ、
中央に唐破風(からはふ)春日造の本殿が安置されている
<前懸>
1981年(皇紀2641)昭和56年から新調
中国刺繍の太湖岩鳳凰図
<旧前懸>
毛綴(タペストリー)
トロイの王子が妻子に別れをつげる「トロイア王子へクトールと妃アンドロマケー・息子アスチュアナクスとの別れ」
16世紀(1580年から1620年頃)にベルギー ブリュッセルの職工 ニケイズ・アエルツによって製作された
江戸時代初期に輸入されたものといわれる
5枚シリーズの2枚目で、鶏鉾の見送にもなっている
3枚目は、鯉山の「トロイア王プリアモスと王妃カペーの祈り」
5枚目は、白楽天山」の前懸の「トロイア陥落図」
<胴懸>
中国綴錦の牡丹胡蝶文(こちょうもん)
<見送>
雲龍文綴錦
<聖護院山伏参詣>
16日
聖護院門跡の山伏約30人が、六角堂を出発し、法螺貝を吹き鳴らし、錫杖(しゃくじょう)を響かせながら、
修験道に縁のある7つの山を巡拝し、御神体の前で般若心経を唱え、巡行の無事や町内の発展を祈願する
<会所家(京都市指定有形文化財)>
天神山町会所には、会所家・土蔵・大日堂が建つ
表通りに面した門を入ると、狭い路地に面して奥に会所家が建ち、その奥に庭をはさんで、土蔵と大日堂が並ぶ
祇園祭町会所の典型の一つとして貴重なもの
1793年(皇紀2453)寛政5年
現在地より西寄りの場所から、現在の地へ移る
会所家は、「町席」と称する十畳の座敷に釣床を設け、玄関には式台を備えている
1886年(皇紀2546)明治19年頃の建立
土蔵の中には天神祠が安置されている
江戸時代後期の建立
大日堂は、庭の北西隅に建つ
会所家と同じ頃の建立といわれる
<御守>
由来にちなみ、宵山には「火防せ(ひふせ)・雷除け」の御守が授与される
<重要無形民俗文化財>
1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
橋弁慶山・霰天神山・山伏山・北観音山・・放下鉾・役行者山の7山鉾町内