八幡山(はちまんやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山
石清水八幡宮を山の上に勧請(かんじょう)したもの
通常は、町会所(ちょうかいしょ)のお庭のお宮に祀られている
応仁の乱以前より存在していたとされる山
<八幡宮>
石清水八幡宮を勧請して町会所の庭に祀った八幡宮が、山の上に祀られている
総金箔の祠は、現在は、祇園祭以外のときには、土蔵に収められている
八幡宮の総本社は大分県宇佐神宮で、分社が全国に約2万5千社ある
主祭神は応神天皇で、比売大神・神功皇后が祀られている
国家鎮護・厄除け・安産・育児にご利益があるとされる
歴代の天皇の病気平癒の祈願なども行われている
聖武天皇が東大寺を建立するときの守護神として大神宮となる
道鏡事件で、和気清麻呂が宇佐へ下向して神託をうかがったときには、
皇位に就こうとする道鏡の野望を砕く神託がされた
859年(皇紀1519)貞観元年
平安京の王城鎮護の神としての石清水八幡宮が祀られる
源頼義が、八幡大神から剣を賜る夢を見て生まれたとして石清水八幡宮で元服式を行い、源氏の氏神として、
鎌倉に石清水八幡宮を勧請し、息子 源頼朝が、鶴ヶ岡に鶴岡八幡宮として移し、武士の守り神として崇敬されるようになる
<小祠>
山洞の半ばまで社殿が置かれている
石清水八幡宮が勧請(かんじょう)され祀られている
総金箔押磨の美麗なもの
天明年間(1781年〜1789年)の製作
かつては、町会所の庭のお宮に祀られていたが、現在は、土蔵に収納されている
<明神鳥居>
山の正面前縁に、朱塗の明神鳥居が立てられている
扁額は、金泥で「八幡宮」と記されている
笠木の上には、木彫胡粉彩色の二羽の白鳩(八幡宮のシンボル)が向かい合ってとまっている
胡粉が塗られている白鳩は、名工 左甚五郎の作
鯉山の御神体の鯉も左甚五郎の作
<欄縁(らんぶち)>
欄縁は凹形に切り下げてあり、八木寄峰下絵で雲の合間に鶴の高浮彫がされている
彫金飛鶴は、天保年間(1830年〜1844年)の工芸家 河原林秀興の作
<前懸>
円山応祥の下絵の飛鳩図綴錦
1986年(皇紀2646)昭和61年
両側を、坂田芳孝の下絵の瑞鳥祥樹図綴織が新調される
<旧前懸>
上下詩文と人物風景文の「慶寿群仙図」慶寿裂
1690年(皇紀2350)元禄3年の作
1987年(皇紀2647)昭和62年に復元新調される
<胴懸>
1989年(皇紀2649)平成元年
左胴懸に麒麟、右胴懸に獏(ばく)の「三瑞獣図刺繍」が新調された
旧胴懸は、昇り龍の綴錦を3枚継ぎ合せたもの
<見送>
日輪双鳳人物文蝦夷錦(えぞにしき)のものと、藍地雲龍波涛図綴錦のものとがある
<水引>
太閤陣羽織の柄の鳥獣動物闘争文様
1991年(皇紀2651)平成3年に復元新調された
旧水引
チョン・スク・ヒャン原画の不老長寿を表した「十長生図」刺繍
1985年(皇紀2645)昭和60年に新調されたもの
旧水引
金地花鳥総刺繍仙園図唐織
1809年(皇紀2469)文化6年の製作
<隅房金物>
水引部が薬玉風、胴懸上部が松菱、胴懸下部が岩波模様で、いずれも木彫金箔押
<紙本金地着色 祇園祭礼図屏風六曲片(京都市指定有形文化財)>
江戸時代の画家 海北友雪の筆
添状により、明暦年間(1655年〜1658年)の作とされる
「祇園会後祭山鉾巡行図屏風 」「祇園会還幸祭図屏風」とも称される
宵山の屏風祭で公開される
<聖護院山伏参詣>
16日
聖護院門跡の山伏約30人が、六角堂を出発し、法螺貝を吹き鳴らし、錫杖(しゃくじょう)を響かせながら、
修験道に縁のある7つの山を巡拝し、御神体の前で般若心経を唱え、巡行の無事や町内の発展を祈願する
<お守り>
鳥居の上の2羽の鳩をモチーフにした夜泣き封じのお守りである鳩笛や、鳩の土鈴が授与される
<町名>
豊臣秀吉ゆかりの伊藤道光の屋敷があったことから「伊藤町」と称されていた
<山一番>
2014年(皇紀2674)平成26年
49年ぶりに7月24日に後祭巡行が復興され、その後祭の山一番となった