伯牙山(はくがやま)(HakugaYama)

所在地:京都市下京区綾小路通新町西入矢田町   名所地図情報名所

山鉾:舁山(かきやま)

特徴:手に斧を持った伯牙の人形と、琴が置かれている
    金幣ではなく、白幣を山の四隅に4本もかけている

重量:0.52トン(29位)(2008年(皇紀2668)平成20年7月17日巡行時に測定)

別名:琴破山(ことわりやま)

 伯牙山(はくがやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山

 中国 周時代、琴の名人 伯牙(はくが)とその友人鐘子期(しょうしき)との物語を表している

 由来の故事から、装飾品も全て中国風に統一されている珍しい山

 かつては「琴破山(ことわりやま)」と称されていた

【伯牙山の歴史・経緯】


【伯牙山の故事】

 中国 周時代の「呂氏春秋」の故事
 琴の名人 伯牙(はくが)と、その友人鐘子期(しょうしき)

 伯牙が、山を想像しながら琴を弾くと、鐘子期は「善きかな。峨々(がが)たること秦山のごとし」と言い、
流水を思って弾くと「洋々たり江河を映ずる」と評価した

 そんな鐘子期が死んだことを聞いた伯牙は「もはや私の琴を真に聞いてくれる人はいない」と嘆き、
悲しみのため琴の紘(げん)を断ったという

 3〜5世紀の中国 晋の時代の正史の故事
 武陵王が、琴の名人 戴安道に伶人として召し抱えたいと使者を遣わしたところ、戴安道は「自分は幇間(ほうかん)ではない。
王の機嫌を取るための琴ではない」といって使者の目の前で、琴を割り砕いたという






【伯牙山の装飾品】

 <御神体(人形)>
 両手に刃を上に向けた斧を持って琴の前に立つ伯牙の人形が安置されている
 目を吊り上げて頬は紅潮し、口をへの字に結んだ怒り表情で、今まさに琴をうち破ろうとしている伯牙の姿を表している
 「金勝亭賽偃子」の墨書銘があり、1790年(皇紀2450)寛政2年の作といわれる

 伯牙の前には、琴が置かれている

 <白幣>
 金幣ではなく白幣で、山の四隅に4本もかけている唯一の山

 <前懸>
 中国 明時代の「金茶地雲龍瑞華文様蝦夷錦」
 中央の上下に紺地の詩文
 中央部に、唐仙人や瑞雲舞鶴などを描いた「慶寿裂(けんじゅぎれ)」を懸け、その下に竜文の錦が用いられている
 勅命で太祖実録を記し、四帝に仕えた学者 王英の筆といわれる
 「慶寿裂」は、長寿の祝いなどに贈られる、めでたい高級な金襴
 1814年(皇紀2474)文化11年から用いられている
 1987年(皇紀2647)昭和62年に復元新調された

 <胴懸>
 花卉尾長鳥文(かきおながどりぶん)の綴錦(つづれにしき)

 <見送>
 西陣の柳絲軒製の「三仙二仙女刺繍」
 白雲の上で麒麟(きりん)に乗る女仙・白鷺を抱く女仙・孔雀を従える仙人・虎を連れている仙人・船を操る仙人が描かれている

 <水引>
 幅広い水引
 楼閣や樹木・唐人物などを肉入押絵で立体的に縫い付けた「緋羅紗地押絵唐人物図」刺繍(ししゅう)

 <隅房金物>
 「舞楽風胡蝶」の珍しいもの
 他の山とは異なり、房を内から懸ける珍しい形式

 <欄縁>
 鉄仙唐草に神紋の精緻な透彫




【その他】

 <杉本家(京都市指定有形文化財)>
 「奈良屋」という呉服屋
 京都における最大級の規模の代表的な京町家
 祇園祭のときに、伯牙山のお飾り場になる

 <地蔵鉾>
 記録によると、応仁の乱まではこの町内から地蔵鉾という鉾が出ていたといわれる


【伯牙山へのアクセス】

 市バス 四条烏丸 徒歩数分
 阪急電車 烏丸駅 徒歩数分
 地下鉄 四条駅 徒歩数分

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