祇園祭の山鉾(やまほこ)は、それぞれの山鉾町により、運営・保存が行われている
前祭・後祭の宵山で、それぞれの山鉾町の会所で、装飾品などが披露される
前祭(7月17日)・後祭(7月24日)には、疫病邪悪を払うために市内を巡行する
鉾(ほこ):6基
重さ:約10〜15トン
高さ:地上から鉾頭まで約25m、地上から屋根まで約8m
車輪の直径:約1.9m
曳子:巡行の時に綱をひく役 30人〜40人
音頭取:鉾の操作のために2本の石持の間に渡した板の上に立つ指揮者 2人
辻を曲がる時には、4人
屋根方:鉾の屋根で真木(しんぎ)の動揺を調整し、電線などの障害を除く役 4人
<長刀鉾(なぎなたほこ)>
下京区四条通東洞院西入長刀鉾町
山鉾巡行では毎年先頭を勤めるくじ取らず
生稚児が乗る唯一の鉾
鉾先には、疫病邪悪を払う長刀をつけている
<函谷鉾(かんこぼこ)>
下京区四条烏丸西入函谷鉾町
前祭のくじ取らずで、全体では5番目、鉾では、長刀鉾に次いで2番目に巡行する
中国戦国時代、逃げる孟嘗君が、家来に鶏の鳴き真似をさせて、閉まっていた函谷関門を開けさせ逃げ通したという
故事に由来する
鉾頭には三角形の白麻を張り、先端には、三日月が上向きに取り付けられている
<鶏鉾(にわとりほこ)>
下京区室町通四条通下ル鶏鉾町
中国 堯の時代、天下泰平で使われなくなった訴訟用の太鼓に、鶏が巣を作ったという故事に由来する
<月鉾(つきほこ)>
下京区四条通新町東入月鉾町
伊弉諾尊が黄泉の国から逃げ帰り禊祓い)をした時に生まれた、夜と水徳の神 月読尊が由来
鉾頭に、金色の三日月を付け、天王台の下に籠製の船が真木を貫いて取り付けられ、天王座に月読尊が祀られている
<菊水鉾(きくすいぼこ)>
中京区室町通四条通上ル菊水鉾町
町内にあった菊水井戸にちなむ
鉾頭には、天に向いた金色の十六菊をつけている
<放下鉾(ほうかほこ)>
中京区新町通四条通上ル小結棚町
前祭のくじ取らず
真木の中ほどの天王座に、放下僧が祀られている
鉾頭は、日・月・星の三光が下界を照らし、形が洲浜に似ているため「すはま鉾」とも称される
曳山(ひきやま):4基
重さ:1.2トン〜1.6トン
舁方(かきかた):14人〜24人
鉾と同様に車輪を付けた形態をした曳山は、松の真木を立てて、高さは地上約15mある
<北観音山(きたかんのんやま)>
中京区新町通六角下ル六角町
「上り観音山」と称される
2011年(皇紀2671)平成23年まで後祭の山鉾巡行の先頭をつとめていたくじ取らずで、現在は後祭の2番目
楊柳観音菩薩像と韋駄天が安置される
真木の代わりに松の木が立てられ、鳩がとまっている
<南観音山(みなみかんのんやま)>
中京区新町通錦小路通上ル百足屋町
2011年(皇紀2671)平成23年まで後祭の山鉾巡行の最後をつとめていたくじ取らずで、現在は後祭の6番目
北観音山と同じ、楊柳観音菩薩像と脇侍の善財童子が飾られる
<岩戸山(いわとやま)>
下京区新町通高辻上ル岩戸山町
前祭のくじ取らずの曳山
天照大御神が岩戸に隠れ世の中が暗闇となってしまったため、八百万神が集まり、天照大御神を岩戸から招き出した
神話に由来する
<鷹山(たかやま)>
中京区三条通室町西入衣棚町
舁山(かきやま):17基
重さ:1.2トン〜1.6トン
舁方(かきかた):14人〜24人
<保昌山(ほうしょうやま)>
中京区下京区東洞院通高辻下ル燈籠町
「花盗人山(はなぬすびとやま)」とも称される
文武ともに才能があった平井保昌が、恋する和泉式部に紫宸殿前の梅を手折ってほしいと頼まれ、一枝手折ったことで発見され
矢を放たれて逃げ帰る様子を表す
<郭巨山(かっきょやま)>
下京区四条通西洞院東入郭巨山町
中国の貧しい郭巨が、母親と子供を養うことがでず、子供を山に埋めようとすると、土の中から黄金の斧が現れたという
故事に由来する
<伯牙山(はくがやま)>
下京区綾小路通新町西入矢田町
中国 晋の琴の名人 伯牙が、友人 鍾子期の訃報を聞いて、悲しみのため斧で琴の弦を断ったという故事を表す
<芦刈山(あしかりやま)>
下京区綾小路通西洞院西入芦刈山町
摂津国 難波の貧しい夫婦の妻が宮仕えするために都へ出ていく謡曲「芦刈」に由来する
<油天神山(あぶらてんじんやま)>
下京区油小路通仏光寺上ル風早町(かざはやちょう)
風早町の公家 風早家の屋敷に祀られていた天神(菅原道真)を、朱塗りの社殿に安置したもの
<木賊山(とくさやま)>
下京区仏光寺通油小路通東入木賊山町
世阿弥の謡曲「木賊」の、信濃国伏屋の里で、子供をさらわれた老夫が、子供を想いながら木賊を刈る様子を表す
<太子山(たいしやま)>
下京区油小路通仏光寺下ル太子山町
聖徳太子が、四天王寺を建立するために自ら良材を探しに山に入り、老人に大杉の霊木を教えられ、
六角堂を建てた故事に由来する
山鉾の真木は松が用いられるが、太子山のみ杉が立てられる
<白楽天山(はくらくてんやま)>
下京区室町通仏光寺上ル白楽天町
唐冠を付けた中国 唐の詩人 白楽天が、帽子(もうす)をかぶった道林禅師に仏法の大意を問う様子を表す
<孟宗山(もうそうやま)>
中京区烏丸通四条通上ル箏町
「笋山(たけのこやま)」とも称される
中国の二十四孝の一人 孟宗が、病気の母親が欲しがる筍を、雪の中を探して歩き回り、やっと掘り当てたところを表す
<占出山(うらでやま)>
中京区錦小路通烏丸西入占出山町
神功皇后が、九州 肥前国の松浦で鮎釣りをして、戦勝を占ったという故事を表す
<山伏山(やまぶしやま)>
中京区室町通錦小路通上ル山伏山町
かつて、八坂の塔が傾いたときに、法力によって元に戻した山伏の姿を表す
<霰天神山(あられてんじんやま)>
中京区錦小路通室町西入天神山町
戦国時代の京都が大火のときに、急に霰が降ってきて鎮火し、そのときに降りてきた小さな天神様を火除けの神様として
祀ったのが由来
<鯉山(こいやま)>
中京区室町通六角下ル鯉山町
中国 龍門の滝を上る鯉の姿が表わされている
<黒主山(くろぬしやま)>
中京区室町通六角通上ル烏帽子屋町
歌人 大伴黒主が、桜の花を仰いでいる姿が表わされる
<役行者山(えんのぎょうじゃやま)>
中京区室町通三条通上ル役行者町
修験道(しゅげんどう)の開祖 小角(おづぬ)が、一言主神を使って葛城と大峰の間に石橋をかけたという故事に由来する
<鈴鹿山(すずかやま)>
中京区烏丸通三条通上ル場之町
伊勢国 鈴鹿山の悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫神)が御神体
松の木に、多くの絵馬が付けられ、巡行後、盗難除けのお守りとして授与される
<八幡山(はちまんやま)>
中京区新町通三条通下ル三条町
石清水八幡宮が祀られ、総金箔の社殿に、鳥居の笠木の上には、二羽の鳩が向かい合ってとまっている
屋台(やたい):5基
重さ:1.2トン〜1.6トン
曳方(ひきかた):14人〜24人
傘鉾(かさぼこ):2基
祭礼には、古例で、風流傘が出される
室町時代に流行した風流の拍子物の系譜をひいている
<綾傘鉾(あやかさほこ)>
下京区綾小路通室町西入善長寺町
大きな傘と、棒振りばやしが行列する
<四条傘鉾(しじょうかさほこ)>
下京区四条通西洞院西入傘鉾町
祇園唐草模様の大傘に、錦の垂(さがり)を飾り、傘の上には、御幣と若松が飾られる
<布袋山(ほていやま)>
中京区蛸薬師通室町通西入姥柳町
布袋尊の像が安置され飾山となっている
<鉾頭(ほこがしら)>
長刀鉾 :長刀
函谷鉾 :月に山形
鶏鉾 :三角に日の丸
月鉾 :三日月
菊水鉾 :菊花
放下鉾 :日・月・星
<真木(しんぎ)>
鉾の中心に立てられる木
三段になっていて、下二段は檜や欅などを相欠きに接いであり、網かくしより上部は竹で作られている
<吹散(ふきちり)>
吹き流しの紙
<天王台(てんのうだい)>
長刀鉾 :和泉小次郎の船を担いだ人形
函谷鉾 :孟嘗君(もうしょうくん)
鶏鉾 :住吉明神、古くは櫂を持っていたといわれる
月鉾 :月読命
菊水鉾 :彭祖(ほうそ)
放下鉾 :放下僧(ほうかそう)
<赤熊(しゃぐま)>
真木に付けられる大きな藁束
<榊(さかき)>
神前であることを示すためのもの
<紙垂(しで)>
榊に垂らされる、特殊な断ち方をして折った紙(御幣)
長刀鉾 :榊の中心に一つだけ大きい白幣が付けられる
函谷鉾 :榊の中心に金幣が、枝に小さい紙垂が多数付けられる
鶏鉾 :榊に小さい紙垂が多数付けられる
月鉾 :榊の中心に白幣、榊には小さい紙垂が多数付けられる
菊水鉾 :天王台の下に金幣、榊には小さい紙垂が多数付けられる
放下鉾 :檜扇形の榊に長い紙垂が多数付けられる
<角幡(すみはた)>
<網隠(あみかくし)>
<命綱(いのちづな)>
<屋根(やね)>
<破風(はふ)>
<天水引(てんみずひき)>
<稚児・人形>
長刀鉾 :生稚児
函谷鉾 :嘉多丸(1839年(皇紀2499)天保10年)
鶏鉾 :不祥(1863年(皇紀2523)文久3年)
月鉾 :於兎麿(1912年(皇紀2572)明治45年)
菊水鉾 :菊丸(1956年(皇紀2616)昭和31年)
放下鉾 :三光丸(1929年(皇紀2589)昭和4年)稚児舞ができる
<欄縁(らんぶち)>
<角金具(すみかなぐ)>
<下水引(したみずひき)>
<御幣(ごへい)>
<角房(すみふさ)>
<前懸(まえかけ)>
<胴懸(どうかけ)>
<見送(みおくり)>
<裾幕(すそまく)>
<車輪(しゃりん)>
<真松(しんまつ)>
鉾の真木に当たるもので、松の木が立てられる
太子山だけは、杉の木が用いられる
<朱大傘(しゅおおかさ)>
<御神体(ごしんたい)>
<御幣(ごへい)>
<飾り物>
人形と鳥居 :油天神山、鯉山、鈴鹿山
小祠と鳥居 :霰天神山
小祠 :八幡山
からくり人形:蟷螂山
人形 :上記以外の山
<見送(みおくり)>
<欄縁(らんぶち)>
<角金具(すみかなぐ)>
<水引(みずひき)>
<角房(すみふさ)>
<前懸(まえかけ)>
<胴懸(どうかけ)>
<担棒(かつぎぼう)>
<裾幕(すそまく)>
主催:祇園祭山鉾連合会
前祭(さきまつり):7月17日午前9時より
山鉾巡行:四条烏丸からスタートして、四条通・御旅所・河原町通・御池通・新町通を経て各山鉾町へ
後祭(あとまつり):7月24日午前9時30分より
山鉾巡行:烏丸御池 からスタートして、河原町御池・四条河原町・四条通・四条烏丸を経て各山鉾町へ
<過去の山鉾巡行順番>
<くじ取り式>
江戸時代
祇園祭の山鉾巡行の順番を決めるくじ取り式が、六角堂で行われていた
現在は、京都市役所で行われている
<寄町制度(よりまちせいど)>
1591年(皇紀2251)天正19年
豊臣秀吉により定められた制度
山鉾町だけに巨額の費用を負担をさせることでは祇園会が継続されないため、山鉾を出していない町を特定の山鉾の「寄町」に指定し
「地ノ口米」と称する物を拠出させ、山鉾町の資金に充てた
明治維新まで続いていた
<祇園執行日記>
祇園祭の祭事は、八坂神社の祭事と、町衆の祭事と明確に分かれている
山鉾巡行は、町衆による山鉾町の疫病退散が目的であり、八坂神社には巡行されない
「祇園執行日記」の1533年(皇紀2193)天文2年6月7日のところには、
「神事コレ無クトモ、山鉾渡シタキ事ヂヤケニ候」と記されていて、
「八坂神社の神事が中止になっても町衆の山鉾は出したい」と、官祭から町衆の祭礼へと変化していったことがうかがえる
<重要有形民俗文化財>
1962年(皇紀2622)昭和37年5月23日指定
鉾7基・曳山3基・舁山19基の一つ
<重要無形民俗文化財>
1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
橋弁慶山・霰天神山・山伏山・北観音山・南観音山・放下鉾・役行者山の7山鉾町内