布袋山(ほていやま)は、祇園祭における山鉾の一つだったもので、現在は休眠山になっている
現在、休眠山鉾は、鷹山と布袋山の2つ
祇園祭の山鉾巡行の日まで、山鉾町で懸装品などが飾られ居祭が行われる
巡行していた当時の形態を表した絵巻などもほとんどなく、どのような山であったのかは不詳
「祇園祭礼巡行図巻」によると、布袋さんのかぶり物で巡行に参加している様子が描かれている
現在は、マンションの一角に飾り山用の小さな展示スペースが設けられ、
7月1日〜13日に布袋山に関する物、13日〜17日に御神体である布袋尊と二童子が飾られる
<御神体 布袋像>
布袋尊は、中国 梁 明州泰北県出身の高僧で、名前は「契此(かいし)」「長汀子(ちゃうていし)」と称される
現在の御神体は、中国伝来の白青瓷に金銀青丹を施した磁器製とされていたが、
2011年(皇紀2671)平成23年の鑑定調査で、木製と判明する
高さ5寸の座像
左右両脇に、唐子童子がいる
天魔厄神を除き、寿福を増して、子孫を繁栄させるものとして信仰されている
<見送>
「唐子喜遊図」
「桃源郷」で遊ぶ子供たちの図柄
江戸時代初期の作とされている
川島甚兵衛「名品図譜」(川島織物)に所収・所蔵されている
傷みが激しくて修復が不可能な状態
ディジタル撮影後に、デジタルプリントにてレプリカが再現されている
<姥柳町>
「京都坊目誌」によれば町名の起源は不詳で、「布袋山町」と称されていた
江戸時代以来、毎年、祇園祭に布袋尊の像を安置する山棚を出していた
氏子名町は、名家の筆による屏風を陳列往来の人を観覧していたといわれる
細川家・永青文庫蔵「祇園祭礼巡行図巻」には被り物で 布袋さんが参加している様子が描かれている
大津祭、宮城布袋祭では、被り物で巡行が行われている