郭巨山(かっきょやま)は、祇園祭における山鉾の一つの山
中国 後漢の貧しい郭巨が、母親と子供を養うことがでず、子供を山に埋めようとすると土の中から黄金の斧が
現れたという故事に由来する
郭巨山では、御人形の日除けに紺地に神紋の日覆い屋根が用いられており、他の山鉾では朱傘を用いられているため
一目で区別できる
郭巨山では、胴懸を吊るす飾り板「乳隠し」と「欄縁」が重複して取り付けられている
「郭巨山(かっきょやま)」は、中国史話「二十四孝」の故事「郭巨釜掘り」を名前の由来とする
近年までは、「釜掘り山」とも称されていた
「二十四孝」は、中国古来の代表的な孝子24人の逸話を集めたもの
鎌倉時代から室町時代にかけて、
町衆では「二十四孝」などの中国故事や、能、狂言、謡、神話などを教養とされ、山鉾の由緒にも取り入れられた
<故事>
中国 後漢
貧困のため、老母と三歳になる男の子を養えなくなった郭巨は、悩んだ末に、
「子供を育てようとすると老親への孝行ができなくなり、老母の食べ物を少なくして子供に食べさせることも親不孝である
子供はまたできるが、母親は二度と得られないので、仕方がなく、子供を捨てることにする」と決意する
郭巨は、子供を埋めるべく地を掘り、鍬を振り降ろすと地中より黄金一釜が出てきて、母親に孝行を尽くせたといわれる
郭巨山には、「黄金一釜」を山洞に乗せられている
<御神体>
郭巨と子供の御人形(大人形、小人形)
1789年(皇紀2449)寛政元年の金勝亭九右衛門利恭の作
1999年(皇紀2659)平成11年夏
町内の旧家の土蔵から、1641年(皇紀2301)寛永18年の御人形の衣装が発見される
現在の御人形衣装と形も図柄もほぼ一致し、裏地に「寛永十八年新調」と銘記されていた
<日覆い屋根>
1820年(皇紀2480)文政3年より
御人形の日除けに、紺地に神紋の日覆い屋根が用いられている
他の山鉾では朱傘を用いているため、遠目にも郭巨山との区別がつく
<前懸>
唐美人遊楽図(とうびじんゆうらくず)の綴錦(つづれにしき)
1785年(皇紀2445)天明5年の製作
<胴懸>
石田幽汀の下絵の刺繍呉道子(ごどうし)と陳平図
1785年(皇紀2445)天明5年
松屋源兵衛の製作
<見送>
円山応震(まるやまおうしん)下絵の山水人物図綴錦
1815年(皇紀2475)文化12年の製作
19世紀ペルシャ絨氈(じゅうたん)もある
<古見送>
紺地金絲縫賀寿之文(こんじきんしぬいかじゅのふみ)一幅が所蔵されている
<乳隠し(ちかくし)>
金地彩色法相華文様の麗しい板絵
乳(ちち)とは、胴懸を吊すための小裂れ
胴懸の乳を固定したところを覆い隠す飾り板を「乳隠し」と称し、他の山鉾では、乳隠しが進化した「欄縁」が取り付けられている
郭巨山では、欄縁と乳隠しの両方が取り付けられている
<欄縁>
前面桐、左面桜、右面菊の細密な厚肉透彫り
天明期(1781年頃)の懸装品
<前懸>
唐婦人遊楽図
1785年(皇紀2445)天明5年の中国製
<左胴懸>
呉道子描龍図
唐の万代不朽の画聖 呉道子が描く龍が、画面を抜け出て雲を呼び昇天する図
1785年(皇紀2445)天明5年
円山応挙の師 石田幽汀の下絵により新調される
<右胴懸>
陳平飼虎図
陳平が肉を分かつ故事を虎を飼う事で表現した図
1785年(皇紀2445)天明5年
円山応挙の師 石田幽汀の下絵により新調される
<後掛>
福禄寿図
1785年(皇紀2445)天明5年
前懸を改修したもの
<見送>
唐山水仙人図
唐山水鉄拐(てっかい)を主とした数人の仙聖が描かれている
1816年(皇紀2476)文化13年
円山応挙の孫 円山応震の下絵により新調される
天明期の第一装の損傷が大きくなり、昭和時代から平成にかけて新調事業が行われた
<前懸>
秋草図綴錦
桔梗(ききょう)、萩、朶(しだ)が描かれている
1978年(皇紀2638)昭和53年の新調
上村松篁の筆
<左胴懸>
杜若と白鷺図綴錦
祇園祭とゆかりの深い鷺(さぎ)と、夏を表す杜若が描かれている
1983年(皇紀2643)昭和58年の新調
上村松篁の筆
<右胴懸>
雪持竹と鴛鴦図綴錦
吉祥を表す鴛鴦(おしどり)が雪の下で春を待つ図が描かれている
1987年(皇紀2647)昭和62年の新調
上村松篁の筆
<後掛>
阿国歌舞伎図
桃山時代初期の歌舞伎の観劇が描かれている
祇園祭の懸装品では珍しい最初の風俗画
1991年(皇紀2651)平成3年
京都国立博物館に所蔵されている重要文化財を下絵にして新調される
<見送>
万葉美人に緋桃と菫(すみれ)図綴錦
1994年(皇紀2654)平成6年の新調
上村松篁の筆
<旧第一装見送>
林指峰寿叙文刺繍
1792年(皇紀2452)寛政4年
天明の大火からの復興のときに、東福寺より寄進されたもの
「明国嘉靖三十年(1551年)」の銘記がある
現在、京都国立博物館にて保管されている
<見送>
郭巨漢詩文刺繍
1979年(皇紀2639)昭和54年
橋本循が詠んだ漢詩「郭巨山」を、裏千家 鵬雲斎千宗室 家元が揮毫したもので新調される
<見送>
昇り龍図染彩
1981年(皇紀2641)昭和56年の新調
皆川月華の作
<ペルシャ絨毯前懸>
イラン六英雄図
19世紀初頭にトルコ系イラン遊牧民族カシュガルが製作したもの
1981年(皇紀2641)昭和56年
吉田光邦より寄進される
<粽>
郭巨山の粽には、八坂神社で祈祷された「厄除御札」と、由来の故事にちなんだ「金運開運の小判」が添えられている
<御乳御守>
親孝行と子育ての由来と、懸装品「乳隠し」からちなみ、母乳の出を守る「お乳の御守り」が7月14日〜16日のみ、
会所神前にて授与される
<巨大絵馬>
八坂神社絵馬堂に、郭巨山の巨大絵馬が掲げられている
1980年(皇紀2640)昭和55年
御人形衣装の新調を記念したもの
上村松篁画伯の郭巨山巡行図が描かれている