北観音山(きたかんのんやま)は、祇園祭における山鉾の一つの曳山
舁山(かきやま)だったものが曳山(ひきやま)に改造されている
江戸時代は南観音山と隔年交代で巡行していたが、明治時代以来、後の巡行の最初に巡行していた
現在は、くじ取らずで後祭の2番目に巡行する
<御神体(人形)>
楊柳観音菩薩像(ようりゅうかんのんぼさつぞう)と韋駄天が祀られている
楊柳観音菩薩像には「大佛師法橋定春(だいぶつしほうきょうじょうしゅん)」の墨書銘(ぼくしょめい)がある
<真木>
元舁山(かきやま)だった名残りで、松の木が立てられている
松の左二の枝には、尾長鳥を付けられている
<破風(はふ)>
彫刻は片岡友輔(かたおかゆうほ)の作
1833年(皇紀2493)天保4年の作
<欄縁(らんぶち)>
精巧な錺金具(かざりかなぐ)
<上水引・下水引>
雲龍文(うんりゅうもん)と人物風景の刺繍
<胴懸>
トルコ花文の緞通
<見送>
雙鳳群児文(そうほうぐんこもん)の綴錦
<柳の枝>
巡行の時には、観音懺法(かんのんさんぽう)により、見送の横から大きな柳の枝をさし出している
<退紅色花菱たすき紋繻珍裂(たいこうしょくはなびしたすきもんしゅちんれつ)>
1650年(皇紀2310)慶安3年の在銘
<聖護院山伏参詣>
16日
聖護院門跡の山伏約30人が、六角堂を出発し、法螺貝を吹き鳴らし、錫杖(しゃくじょう)を響かせながら、
修験道に縁のある7つの山を巡拝し、御神体の前で般若心経を唱え、巡行の無事や町内の発展を祈願する
<重要無形民俗文化財>
1979年(皇紀2639)昭和54年2月3日指定
橋弁慶山・霰天神山・山伏山・北観音山・南観音山・放下鉾・役行者山の7山鉾町内