孟宗山(もうそうやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山(かきやま)
鈴鹿山と共に、烏丸通に建っている
中国の史話「二十四孝」にある、病気の母親を養う孟宗が、雪の中で筍(たけのこ)を掘りあてた姿を表している
応仁の乱以前からあったといわれる由緒ある山
二十四孝(にじゅうしこう)は、中国の史話の一つ
儒教の考えを重んじた歴代の中国王朝は、孝行を特に重要な徳目として治世を行ったといわれる
「二十四孝」は、後世の模範として孝行が特に優れた24名の話をまとめたもの
<孟宗(もうそう)>
二十四孝の話の一つ
中国 呉の国において、幼い時に父を亡くし年老いた母を養っていた孟宗(もうそう)
病気になった母親は、いろいろな食べ物を欲しがり、ある冬に、筍(たけのこ)が食べたいと言った
雪の竹林に行ったが冬に筍があるはずがなかったが、孟宗は、天に祈りながら雪を懸命に掘っていた
すると、雪が融け始め、土の中から筍が多くさんでてきた
孟宗は大喜びし、筍を採って帰り、熱い汁物を作って母親に与えると、たちまち病気が癒えて、天寿を全うしたといわれる
<孟宗竹(もうそうちく)>
日本の竹類の中では最大で、高さ25mほどになる
筍(たけのこ)は、4頃に発芽し、大きく肉厚で柔らかく、えぐ味が少ないため食用にされる
「孟宗竹」の名前は、「二十四孝」の孟宗が由来といわれる
<山鉾町「笋」>
山鉾町の町名が「笋町(たかんなちょう)(筍の意味)」であったことから、この故事が取り入れられたといわれる
<御神体(人形)>
孟宗が、雪の中で病気の母が欲しがる筍を探して歩き回り、やっと掘りあてた姿をあらわしている
唐人衣装に蓑(みの)・笠をつけ、右手に雪をかぶった筍、左手には鍬(くわ)を肩にかついで立っている
七条大仏師 康朝左京の作
金塗りの傘をつけている
<欄縁(らんぶち)金具>
「彫金群鳥図(ちょうきんぐんちょうず)」
千鳥・鳳凰・山雀(やまがら)・翡翠(かわせみ)・孔雀・鷹・燕・鴨など15種類の鳥が表わされている
栖鳳の師 幸野楳嶺の下絵
<見送>
1940年(皇紀2600)昭和15年以降は、
竹内栖鳳の筆の「白地墨画叢竹図(しろぢぼくがそうちくず)」
八坂神社の氏子だった竹内栖鳳が喜寿の祝い描いたもの
白綴地に肉筆の墨一色の見送が、他の山鉾の見送が極彩色豊かな中で、唯一の異彩となっている
<旧見送>
百唐子文(ひゃくからじもん)の綴錦
<前懸>
1984年(皇紀2644)昭和59年
中国の官服を直して作られた紺地五爪群龍図刻系
<土蔵>
町会所内にある
<延命地蔵大菩薩>
町会所内に祀られている
<お守り>
宵山では親孝行のご利益があるお守りが授与される