鈴鹿山(すずかやま)は、祇園祭における山鉾の一つの舁山
孟宗山と共に、烏丸通に建っている
伊勢国 鈴鹿山で悪鬼を退治した鈴鹿権現(瀬織津姫命)が祀られている
鈴鹿権現(すずかごんげん)が、伊勢国 鈴鹿山で道ゆく人々を苦しめた悪鬼を退治したことが由来
鈴鹿峠は、滋賀県・三重県の境を通る鈴鹿山脈にあり、東海道の難所で、天下の三関(敦賀の愛発の関・関ケ原の
不破の関・鈴鹿の関)の関所が置かれていた
富裕層や商人が頻繁に往来するので、山賊も多く潜んでおり、峠越えや山賊退治の故事が多く残る
大海人皇子(おおあまのみこ)が、鈴鹿峠の峠越えをしたときに老翁と鹿に助けられ、即位して天武天皇となったとき、
老翁の徳を称えて鈴鹿明神を祀られたといわれる
現在の鈴鹿の関(三重県関町)近くにある鈴鹿権現が祀られているとされる片山神社の主祭神が、瀬織津姫命
瀬織津姫命は、倭建御子(やまとたけるのみこ)(日本武尊)の東征征伐のときに、天叢雲剣と火燧袋(ひうちぶくろ)を与え、
それにより窮地から救われたといわれる
鳥居・真松が立てられ
宝珠(ほうじゅ)・鳥居・松・木立などが描かれている絵馬(えま)が多くさん付けられている
絵馬は、巡行後に盗難除けの御符としても授与される
<御神体(人形)>
木彫彩色
鈴鹿権現の女人の姿とされる瀬織津姫命が、長い鬘(かつら)に金の烏帽子(えぼし)をかぶり、
赤地錦の鬘帯、白繻子雲龍文小袖、緋精好大口袴(せいこうおおぐちはかま)、紫地金立涌か巴(たてわくかともえ)文金襴の
表着を着け、腰に錺太刀、左手に大長刀、右手に中啓を持っている
巡行中には、1683年(皇紀2343)天和3年と1718年(皇紀2378)享保3年の作の能面をつけている
源平合戦で大刀と強弓を持って戦う女美人武者 巴御前がモデルであるともいわれる
<鳥居>
鈴鹿山の正面に朱塗明神鳥居が立てられている
額には、槇村正直の筆の「鈴鹿山」がかけられている
瀬織津姫命の正面には杉の枝が立てられ、山の間であることが表される
<赤熊(しゃぐま)>
後のほうには、退治された悪鬼の首をあらわす赤熊(しゃぐま)が置かれている
<前懸>
シルクロード商隊のラクダが描かれた「黄砂の道」の毛綴
1989年(皇紀2649)平成元年に新調されたもの
旧前懸は、胴懸と同じ「金地百仙人綴錦」
<胴懸>
中国 清朝時代の故事山水人物画の「金地百仙人綴錦」を短冊型に繋ぎ合わせて作った屏風綴幔幕
西王母や寿老人など仙界の住人の図が描かれている
1728年(皇紀2388)享保13年に新調されたもの
1999年(皇紀2659)平成11年新調の今井俊満の原画の「桜図綴織」
2001年(皇紀2661)平成13年新調の今井俊満の原画の「紅葉図綴織」もある
<見送>
皆川月華の作の染彩「布哇(ハワイ)の蘭花」
1982年(皇紀2642)昭和57年に新調されたもの
古見送として、
1816年(皇紀2476)文化13年に購入された中国 明時代の雲龍文様刺繍
1902年(皇紀2562)明治35年の作の牡丹鳳凰文様刺繍
1622年(皇紀2282)元和8年の銘の紺紙金泥文字などがある
<後懸>
1986年(皇紀2646)昭和61年
皆川月華の作の「群禽譜染彩」が新調される
<欄縁金具>
山鹿清華の下絵の豪華な四季花鳥文様の「山端和親」と題する金具
1937年(皇紀2597)昭和12年の作
正面が凹形に切れ込み、松と鷹・菊と兎・八重桜と尾長鳥・石楠花と鳩・栗と鶉(うずら)
右欄縁は、紫陽花・紅葉と鹿と菊・栃の木・葛に梛(なぎ)
左欄縁は、山帰来(さんきらい)・葡萄と栗鼡(りす)・凌霄花(のうぜんかずら)・柏と木兎(みみずく)・合歓(ねむ)
<隅房金物>
波丸文様の銅製金具
<ご利益>
鈴鹿山に立てられた真松に、多くさんの絵馬が吊されており、巡行後、盗難除けの護符として授与される
宵山では、雷除け・安産の絵馬付き粽(ちまき)が授与される
<町名「場之町」>
かつて、ここに駅場の休息場があり、「馬ノ町」と称されていたことに由来する