<六所御霊>
863年(皇紀1523)貞観5年の神泉苑での御霊会において祀られた5柱の御霊と、後に加えられた藤原広嗣の御霊
崇道天皇(早良親王)
伊予親王(桓武天皇の皇子)
藤原夫人(伊予親王の母親 藤原吉子)
橘大夫(橘逸勢)
文大夫(文室宮田麻呂)
観察使(藤原広嗣)
上御霊神社と下御霊神社では、
伊予親王・観察使にかわって井上大皇后(井上内親王)、他戸親王があてられている
<八所御霊>
六所御霊に2柱の御霊が追加される
火雷神(菅原道真)
吉備大臣(吉備真備)
<神泉苑>
当時の国の数66ヶ国に準じて、長さ2丈の鉾が66本立てられて疫病退散が祈願された
<上御霊神社>
京都御所の北東に八所御霊が祀られた
<下御霊神社>
京都御所の南東に八所御霊が祀られた
<八坂神社>
御霊会を由来とする祇園祭が行われている
<船岡山>
994年(皇紀1654)正暦5年
疫病が流行し、疫病退散のための御霊会が行われ、船岡山山頂に木工寮 修理職(しゆりしき)の作った神輿二基に
素戔嗚尊の神霊をこめて、船岡山に安置された
これが、紫野御霊会、今宮祭、出雲路御霊堂などの由来とされる
<悪王子社>
疫病流行、天変地異などが相次ぎ、御霊会が行われるようになり、
悪王子社で、山鉾巡行の無事を祈願する神さんとされるようになる
<御供社>
かつては、神泉苑の南端にあたり、御霊会のときに斎場が設けられ、祇園社の神輿三基が安置され神饌が御供えされており、
社名や町名の由来となる
現在も、7月24日の祇園祭の還幸祭には、神輿3基が安置される
<平岡八幡宮>
祇園祭(祇園御霊会)での神輿渡御を先導する鉾の原型ともいわれる 鉾さし(京都市無形民俗文化財)が行われる
<今宮神社
平安時代以前から疫病退散の神さんとして信仰され、都の疫病鎮護の紫野御霊会も行われていた神社
<元祇園梛神社>
「梛神社(なぎじんじゃ)」と称され、京都に疫病が流行り、東山(現在の八坂神社)に、
播磨国飾摩郡白幣山から牛頭天王(素戔嗚尊)が勧請され御霊会が行われたとき、
牛頭天王の分霊をのせた神輿を、一旦、数万本の梛の木があった林の中に置かれ祀られたことが由来
<雲林院>
4月に各所で行われる「やすらい祭」は、かつて「紫野御霊会」として雲林院で行われていたといわれる
<唐板の煎餅>
平安時代に疫病が流行し、悪霊退散のために御霊会が開かれたとき、健康を祈願して厄除けの煎餅として振舞われた煎餅
現在は、上御霊神社の神饌菓子は何か?