長岡京ガラシャ祭(ながおかきょうがらしゃまつり)は、11月第2日曜日に長岡京市で行われる市民のイベント
戦国時代に、明智光秀の娘 玉(後の細川ガラシャ)が、16歳で、勝龍寺城の細川忠興のもとに嫁いできたことを祝う
勝龍寺城跡が、勝竜寺城公園として復興した記念に行われ始めた
<マーチングバンド>
先頭は、長岡京市内の小・中学生を中心に構成されている
<歴史文化行列>
長岡京ゆかりの人物による細川ガラシャの玉の輿入れを祝う行列
継体天皇、藤原継縄、百済王明信、藤原基経、菅原道真、清少納言、熊谷次郎直実、承明門院、
細川頼春、永井直清、桂昌院
<お輿入れ行列>
お祭のメインとなる明智玉の細川忠興への輿入れ行列
当時、乙訓地域一帯を治めていた戦国武将 細川幽斎の長男 細川忠興のもとへ、坂本城から輿入れをした様子が再現される
松井康之 :細川幽斎、細川忠興に仕えた重臣で、細川幽斎の養女と縁組する
細川忠興 :細川幽斎の長子
お玉 :明智光秀の三女(細川ガラシャ)
清原マリア :大外記清原枝賢の娘、細川ガラシャ夫人の侍女となり、セスペデスより受礼し「マリア」となる
細川幽斎 :織田信長の入京のときには朝廷の警備にあたる、岩成友通の篭る勝龍寺城を攻略し勝龍寺城を与えられた
細川麝香 :沼田光兼の娘、細川幽斎の妻
明智弥平次 :明智光秀の甥で娘婿
明智光秀 :足利義昭の重臣、山崎合戦で豊富秀吉に敗れ自刃する
明智熙子 :明智光秀の妻
<町衆祝い行列>
現代の長岡京市民や団体のみなさんが町衆として、玉の輿入れを祝う
本名:明智玉(あけちたま)
洗礼名:ガラシャ(Gratia)
生年:1563年(皇紀2223)永禄6年
没年:1600年(皇紀2260)慶長5年7月17日
明智光秀の三女
16歳のときに、坂本城から、乙訓一帯を支配していた戦国大名の細川幽斎の息子 細川忠興のもと勝龍寺城に嫁いでくる
数年後、父親 明智光秀が、織田信長を倒したことで、兄弟を失い、子供とも引き離され、丹後の山奥に幽閉されるなど、
苦難の生活を送ることになる
人間愛の心を常に持ち続け、キリスト教に心の平安を求め、24歳のとき、キリスト教信徒(キリシタン)の先例を受け、
「ガラシャ(Gratia)」という洗礼名を受ける
関が原の戦いで石田三成の人質になるのを拒み、家臣小笠原少斎の刀をうけて最期を遂げる