時代行列は、時代祭における桓武天皇・孝明天皇の両天皇の神幸列にお供される行列
明治維新から平安時代までの華やかな時代風俗行列であり、一大時代絵巻となる
時代行列は、幕末維新・江戸時代・桃山時代・室町時代・吉野時代・鎌倉時代・藤原時代・延暦時代の
8つの各時代の人物が、20列で、約2000人、馬70頭、牛2頭、馬車、牛車などが参加し、全長は約2km、
京都御所から平安神宮までの約4.5kmの道のりを全行列が到着するのに約4時間ほどかかる
時代行列に使われる祭具、衣装、調度品など約1万2000点の全てに、厳密な時代考証が行われ復元されており、
京都の1200年以上にわたり培ってきた伝統工芸技術の精華を集めたものになっている
京都御所の建礼門院前を12時00分に出発
烏丸御池が12時50分頃、平安神宮には14時30分頃、先頭が到着する
8つの時代の20隊列となっている
<名誉奉行(めいよぶぎょう)>
京都府知事・京都市長・京都市会副議長・商工会議所会頭・時代祭協賛会会長
時代祭旗
総奉行(そうぶぎょう)
<明治維新>
維新勤王隊列(いしんきんのうたいれつ):第八社(中京区)
維新志士列(いしんししれつ):京都青年会議所
<江戸時代>
徳川城使上洛列(とくがわじょうしじょうらくれつ):第六社(下京区・南区)
江戸時代婦人列(えどじだいふじんれつ):京都市地域女性連合会
<安土桃山時代>
豊公参朝列(ほうこうさんちょうれつ):第十社(伏見区)
織田公上洛列(おだこうじょうらくれつ):第五社(東山区・山科区)
<室町時代>
室町幕府執政列(むろまちばくふしっせいれつ):第九社(右京区・西京区)
室町洛中風俗列(むろまちらくちゅうふうぞくれつ):深草室町風俗列保存会
<吉野時代>
楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ):第九社(右京区・西京区)
中世婦人列(ちゅうせいふじんれつ):京都花街組合連合会
大原女:大原観光保勝会
桂女:桂婦人会・桂東婦人会との交互奉仕
<鎌倉時代>
城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ):第四社(中京区・下京区)
<藤原時代>
藤原公卿参朝列(ふじわらくぎょうさんちょうれつ):第三社(上京区・中京区)
平安時代婦人列(へいあんじだいふじんれつ):京都花街組合連合会・京都市地域女性連合会
<延暦時代>
延暦武官行進列(えんりゃくぶかんこうしんれつ):第二社(北区・上京区・左京区・中京区)
延暦文官参朝列(れんりゃくぶんかんさんちょうれつ):第一社(北区・上京区)
<神幸列>
神饌講社列(しんせんこうしゃれつ):京都料理組合
前列(ぜんれつ):第七社(左京区)
神幸列(しんこうれつ)
列奉行(れつぶぎょう)
白川女献花列(しらかわめけんかれつ):白川女風俗保存会
弓箭組列:南桑田郡・船井郡有志
幕末維新の際、幕府の残党が東北地方で反乱を起こしたときに、
丹波国の北桑田郡山国村の郷士からなる山国隊を組織して官軍派に加わった当時の行装
時代行列の先頭を勤め、太鼓や笛の音を奏でる
三斎羽織(さんさいはおり)に義経袴(よしつねばかま)
下には、筒袖の衣
頭には、鉢巻や赤熊(しゃぐま)をかぶり
脚絆(きゃはん)、足袋、草鞋(わらじ)をはく
刀を帯び、鉄砲を携える
当初は、山国隊として、京北町(けいほくちょう)からの奉仕だったが、
1902年(皇紀2562)明治35年から5年に1度の奉仕となり
1921年(皇紀2581)大正10年から、朱雀学区が引き継ぎ、維新勤王隊列に編成され、第八社となる
幕末維新、明治維新の立て役者となった志士計14人
河原町通蛸薬師の醤油屋の近江屋で暗殺された坂本龍馬や、桂小五郎、中岡慎太郎などが列に連ねている
1966年(皇紀2626)昭和41年
孝明天皇百年祭を記念して加えられる
<桂小五郎(かつらこごろう)(木戸孝允)>
萩藩士
王政復古に尽力し、維新の事業に功労があり、西郷隆盛、大久保利通とともに「維新三傑」と称せられる
<西郷吉之助(さいごうきちのすけ)>
薩摩藩藩士
島津斎彬に抜擢されて国事に尽力し、長州藩と幕府との間で維新を助成した
<坂本龍馬>
土佐藩士
剣術に優れ、勝安房のもとで海兵の技術も学ぶ
幕府の不審をかい、1867年(皇紀2527)慶応3年に、33歳で京都で暗殺される
<中岡慎太郎>
土佐国
坂本龍馬と国事に尽力したが、30歳のとき、京都で共に暗殺される
<高杉晋作>
長州藩藩士
吉田松陰のもとで才能をかわれる
国事に尽力するが、1867年(皇紀2527)慶応3年に、29歳で病死
<七卿落>
尊攘派の長州藩と過激派公家は、徳川政権を一挙に倒す陰謀を画策するが
1863年(皇紀2523)文久3年8月18日の
八月十八日の政変による宮中クーデタにより都を追われ、夜陰に隠れて雨の中を長州藩へ下った7人の公卿と2人の志士
公卿:三条実美、三条西季知(さんじょうすえとも)、東久世道禧(ひがしくぜみちとみ)
壬生基修(みぶもとおさ)、四条隆詞(しじょうたかうた)、錦小路頼徳(にしきこうじよりのり)、澤宣嘉(さわのぶよし)
志士:真木和泉(まきいずみ)、久坂玄瑞(くさかげんずい)
<吉村寅太郎(よしむらとらたろう)>
土佐藩士
京都に出て、平野国臣らと盛んに尊皇攘夷を訴え、大和で挙兵し先鋒となったが志を達せられず、26歳で自刃する
<頼三樹三郎(らいみきさぶろう)>
京都出身、山陽の第三子
盛んに幕政の非を訴えたため、
1858年(皇紀2518)安政5年に捕らえられ、翌年35歳で処刑される
<梅田雲浜(うめだうんびん)>
若狭小浜藩藩士で幕末の尊攘派志士の儒学者
攘夷を訴え、水戸藩に対する密勅に尽力するが、安政の大獄で捕らえられ、44歳で獄中で病死する
<橋本左内(はしもとさない)>
福井藩士
蘭学医学、洋学に優れ、藩政に尽力する
1858年(皇紀2518)安政5年
一橋慶喜を将軍に擁立しようと奔走し、幕府に捕らえられ、26歳で処刑される
旅姿の服装で登場する
<吉田松陰(よしだしょういん)>
長州藩藩士
和漢、兵学を学び、攘夷派ではあったが、海外事情を把握するため長崎に渡り、下田から密航をしようとして幽閉される
松下村塾を開き、子弟の教育を行う
1858年(皇紀2518)安政5年に、同志に連座して幕府に捕らえられ、30歳で処刑される
<近衛忠熈(このえただひろ)>
孝明天皇の皇太子時代の東宮傅
即位されてから、右大臣、左大臣と任命され、関白となる
関白の束帯姿(そくたいすがた)で登場し、随身(ずいしん)舎人(とねり)を従えている
<姉小路公知(あねこうじきんとも)>
勤王派で、三条実美とともに奔走する
1863年(皇紀2523)文久3年
25歳で御所の猿ヶ辻において暗殺される
衣冠(いかん)の参朝姿で登場する
<三条実萬>
三条実美の父親
権大納言、内大臣を務める
勤王派で、公武合体に尽力する
孝明天皇の配慮で、梨木神社の祭神として祀られる
直衣姿(のおしすがた)で登場する
<中山忠能(なかやまただやす)>
明治天皇の実母の父親
大納言を務め、和宮内親王の宮家別当
小直衣姿(このおしすがた)で登場する
<平野国臣(ひらのくにおみ)>
福岡藩士
和歌、雅楽、漢書、書画、武芸に優れる
1863年(皇紀2523)文久3年
勤王派を訴え、同志に呼応して、生野で挙兵するが敗れ捕らえられ、43歳で処刑される
徳川幕府が、大礼や年始などの際に、必ず城使を上洛させ、皇室に対し礼を尽くした様子を表す
城使には、親藩や譜代大名が選ばれ、即位の大礼においては、将軍家名代が多数の家臣を従える
先頭の槍持、傘持、鋏箱(はさみばこ)の「ヒーサー」の掛声やしぐさは、近世武家風俗を代表する当時の面影をしのばせる
江戸時代の皇族、歌人、芸能人などが、豪華絢爛な衣装を身につけ参列する
<皇女 和宮(かずのみや)>
孝明天皇の皇妹、徳川家茂の御台所
16歳頃の輿入れ前の、近世女房装束で、女嬬を従えた宮廷内の姿で登場する
<大田垣蓮月>
和歌、文筆に優れ、後に、尼となる
歌集「海人の刈藻」「蓮月式部二女和歌集」など
若き日の姿で登場する
<玉瀾(ぎょくらん)>
お梶の孫、池大雅の妻
閨秀画家として、池大雅とともに優れ、和歌にも才能を持った
<中村内蔵助(なかむらくらのすけ)の妻>
享保年間(1716年〜1736年)頃
京都銀座に巨額の富を築いた中村内蔵助の妻
「翁草」によると、妻女の衣裳比べの会などで、断然の誉れを得ていたといわれる
<お梶>
女流歌人、歌集「梶の葉」
元禄・宝永年間(1688年〜1711年)頃
祇園に茶店を営んでいた
<吉野太夫>
寛永年間(1624年〜1644年)頃
京都六条三筋町の名妓、後に灰屋紹益の妻となる
芸子の頃の姿で登場する
<出雲阿国>
出雲大社の巫女
1603年(皇紀2263)慶長8年
北野天満宮にて、「かぶき踊り」を始めて人気を集めた歌舞伎の創始者
弟子を連れた姿で登場する
1596年(皇紀2256)慶長元年5月
豊臣秀吉が、初めて参内したときの牛車などの行装と
1597年(皇紀2257)慶長2年9月
豊臣秀吉が元服したときの参内の様子を表す
前後に従う大名は、実際にはもっと多数であったといわれる
服装は、特に「一日晴れ」として規則以外に許されたもの
袴をつけ、武家風の太刀を付けた衣冠の姿
牛童や牛飼などは公家風、従者は武家風の姿
<檳榔毛唐庇車(びんろうげからひさしぐるま)>
蒲葵(びろう)の葉で葺き、簾(すだれ)などの色文装具(いろあやそうぐ)などで飾られた牛車
<牽馬(ひきうま)>
桃山時代の遺宝の廬の高蒔絵の鞍をつける
1568年(皇紀2228)永禄11年9月
織田信長が、正親町天皇に招かれ、天下統一のため兵を率いて上洛した時の様子を表す
織田信長、羽柴秀吉(豊臣秀吉)、柴田勝家などが参列する
<立入宗継>
命を受けて、粟田口に、織田信長を出迎える
<羽柴秀吉>
<柴田勝家>
<滝川一益>
<当世具足(とうせいぐそく)>
戦いに銃が導入されたことで、甲冑の多くは胴丸で、各部署に鉄板が用いられている
室町幕府を開いた足利尊氏が後醍醐天皇を吉野に追いやったことで、
「室町時代」ではなく「吉野時代」と称され、
足利尊氏の隊列はなく、足利尊氏と戦った楠木氏の隊列が、甲冑姿で登場する
1333年(皇紀1993)元弘3年5月
後醍醐天皇が、隠岐より還幸されるときに、一族を率いて兵庫に出迎え、先駆して上洛した楠木正成の様子を表す
<楠木正成>
紫末濃(むらさきすそご)の大鎧
兵庫鎖太刀(ひょうごくさりのたち)に、豹の鞘
<楠木正季>
逆沢潟縅(さかおもだかおどし)の大鎧
革包太刀、蛭巻太刀(ひるまきたち)を重ねて巻く
<侍大将>
卯花縅(うのはなおどし)の胴丸を着て、小刀を挿す
室町時代・鎌倉時代の婦人の様子が表される
大原や桂から、京へ薪や炭、鮎などを売りにでていた女性や、側室の女性などが参列する
<大原女>
薪や炭などを頭に乗せ、京の町に売りに出ていた京都洛北の大原の女性
<桂女(かつらめ)>
髪を包んだ「桂包(かつらづつみ)」の姿で、町へ鮎や飴を売りに出ていた京都洛西の桂の女性
巫女を業として、婚礼や出産のときに祈祷をしに出かけていたともいわれる
<淀君(よどぎみ)>
豊臣秀吉の側室、浅井長政の娘、豊臣秀頼の母親
豪華な打掛に間衣、下着、小袖に刺繍の帯をしめて、扇を持った外出姿で登場する
<藤原為家(ふじわらのためいえ)の室(しつ)>
「十六夜日記」の著者
子息 藤原為相の領地争いのために鎌倉幕府に訴えて東下りをしたときの旅姿で登場する
市女笠に虫の垂衣(たれぎぬ)をたれ、半足袋(前半分だけの足袋)に草鞋をはく
道中の安全を祈願する守袋をかける
文杖には訴状を挿している
従者は、旅の諸用品を入れた唐櫃をかついでいる
<静御前(しずかごぜん)>
源義経の愛妾、白拍子
源義経が叛人として源頼朝に追われ奥州に落ちたあと、捕らえられて鎌倉に送られ、鶴岡八幡宮の前で、
源義経を恋い慕う歌舞を行った
水干(すいかん)、単小袖(ひとえこそで)、白の切袴を着け、立鳥帽子をかぶり、鼓を持った白拍子の姿で登場する
一人の童女が従い、絹傘を差しかけている
鎌倉時代
1221年(皇紀1881)承久3年5月
後鳥羽上皇が、朝廷の権威を取り戻そうと、城南離宮に流鏑馬と称して、近畿の武士1700名を集めたといわれ
華美を競い、武具を飾られた様子を表す
狩装束の射手武士が5組登場する
<流鏑馬(やぶさめ)>
平安時代から行われている騎射の技
馬場に3ヶ所の的を立てて、射手が馬を走らせながら、矢継ぎ早に射る
<狩装束の射手武士>
綾藺笠(あやいがさ)をかぶり、直垂(ひたたれ)を着け、
手にゆがけをはめて、左手に射籠手(いごて)、腰下に鹿皮の行縢(むかばき)をつける
物射沓(ものいぐつ)をはいて、箙(えびら)を負い、太刀、腰刀、鞭をまく
郎党には、弓や長刀を持たせている
平安時代中期以降
藤原氏の最盛期の文官、武官両様の夏装束を表す
強装束(こわしょうぞく)の夏様式の服装で登場する
平安時代の豪華絢爛に着飾った婦人たちを表す
源義中の妻 巴御前、「源氏物語」の作者 紫式部、「枕草子」の作者 清少納言、絶世の美人 小野小町などが参列する
<巴御前(ともえごぜん)>
木曾義仲の寵愛をうけ、木曾義仲の死後は、尼となったといわれる
「源平盛哀記」により、巴の武装姿で登場する
天冠に鎧を着け、太刀をまき、長刀を持つ
従者は、折烏帽子に腹巻を着け、小刀を帯び、弓と馬杓を持つ
<横笛(よこぶえ)>
建礼門院の雑司
滝口時頼と恋に落ちて、滝口時頼が出家したときに、嵯峨に尋ねて行ったときの市女笠の姿で登場する
<常盤御前(ときわごぜん)>
源義朝の側室
源義朝の死後、牛若(源義経)、乙若、今若の三人の子供を連れて、六波羅へ向かう姿で登場する
<紫式部(むらさきしきぶ)>
藤原宣孝の妻
上東門院に仕え「源氏物語」を著した
略装の姿で登場する
<清少納言(せいしょうなごん)>
清原元輔の娘
「枕草子」の著者
女官の正装を身にまとい登場する
<紀貫之(きのつらゆき)の女(むすめ)>
紀貫之は、名歌人
村上天皇が、清涼殿の梅が枯れたときに、西京から集められた梅が、
枝につけてあった紀貫之の娘の歌から、紀貫之の庭の梅だったことが知れたという故事による
袿(うちかけ)単小袖、濃紅の切袴を着け、手には梅の小枝を持った姿で登場する
<小野小町>
女流歌人で、六歌仙の一人
出羽国の郡司 小野良貞の娘
平安時代初期の特殊な服装の姿で登場する
<和気広虫>
和気清麻呂の姉
慈悲深く、多くの孤児を養育し、孤児院の創始となったといわれる
尼から還俗する時の姿で登場する
奈良朝の上衣、裙(もすそ)、帯を着け、比礼(ひれ)をかけて、団扇を持っている
男女2名づつを、従えている
<百済王明信(くだらおうみょうしん)>
右大臣 藤原継縄(ふじわらのつぐただ)の妻
百済王 敬福(きょうふく)の孫で、理伯(りはく)の娘
女官では最高位の従三位
桓武天皇の信頼が厚く、朝廷の内侍所(ないじどころ)の尚侍(しょうし)(女官長)
坂上田村麻呂の出陣の行装を表す
<坂上田村麻呂>
きらびやかな金小札(きんこざね)の甲冑
金作りの直刀をおび、白葛のやぐないを背負い、金銅の弭(ゆはず)をする
木地に漆画を施した鞍橋に、金銅の杏葉銜(きょうようのくつわ)に赤革の鞦(しりがい)の馬に乗る
従者には、金物の槻の丸木弓を持たせている
矛持、弓持を従えている
平安時代の公喞の朝廷参内の様子を表す
<朝服>
後の、束帯のもととなる
巾子(こじ)が広く、羅の柔らかな冠をかぶる
直刀式の儀刀に、金銀の腰帯を着ける
袍の色は、三位は浅紫、四位は深緋、五位は浅緋、六位は深緑のものを着用する
三位は、蘇芳色総(すおおいろのふさ)の三懸(さんがい)(馬の飾り)をつけた馬に乗る
時代祭の神饌物を奉献する人達
御饌長(みけちょう)、副御饌長、水干の講員が参列する
京都料理組合の有志により奉仕されている
神幸列の直前を進む列
雅楽の伶人(れいじん)、迦陵頻伽(かりょうびんが)、胡蝶(こちょう)などが、優美な衣装で登場する
多くの狩衣装束(かりぎぬしょうそく)のお供が従う
前列は、平安神宮の「宮本」といわれる錦林、新洞区より奉仕されている
平安神宮の祭神の桓武天皇と孝明天皇の御霊代が神幸される本列
御祭神が京都の市内を巡幸される
<御賢木(おんさかき)>
先達
<御鳳輦(ごほうれん)>
先の御鳳輦が、西本殿の孝明天皇
後の御鳳輦が、東本殿の桓武天皇
それぞれの前後に、宮司などの神職が従う
花を頭に載せて売り歩く白川女の行列
行在所祭では、献花を行われる
時代行列の最後尾を務める
丹波国南桑田郡、船井郡には、源頼政に従って弓箭の術を究めた者が多く、その子孫も平素から弓箭組を組織していた
桓武天皇の平安遷都のとき、その御列の警護にあたったともいわれ、また、維新のときには山国隊とともに活躍したといわれる
当初は、
市役所−寺町通を北進−二条通を西進−烏丸通を南進−
四条通を東進−縄手通を北上−三条通を東進−三条大橋を渡って−平安神宮へ
1931年(皇紀2591)昭和6年の新たな参列の増加で、
出発が、市役所から京都御所に変わり、堺町御門から出て−丸太町を西進−烏丸通を南下−
四条通を東進−河原町通を北上−三条通を東進−三条大橋を渡って−神宮道(じんぐうみち)を北上になる
1966年(皇紀2626)昭和41年には、交通量の激化で
四条通が御池通に変わる
現在は、
京都御所を12時00分に出発
烏丸御池が12時50分頃、平安神宮には14時30分頃、先頭が到着する
<室町時代列>
室町幕府 初代将軍 足利尊氏は、後醍醐天皇を吉野に追いやった「逆賊」として時代行列に加えられなかった
2006年(皇紀2666)平成18年
桓武天皇没後1200年大祭記念事業の一環として、京文化の原点ともいわれる北山・東山文化の時代風俗を
再現することが検討されていたが、衣装や武具類の新調費として少なくとも1億円が必要となり、
京都府や京都市が2005年(皇紀2665)平成17年から5年間で計5000万円の支出を決定する
時代考証委員会では、「足利尊氏と戦った楠木正成を中心にした既存の列と雰囲気が似る」などの議論がされている
<婦人列>
江戸時代婦人列、中世婦人列、平安時代婦人列は、
京都五花街(上七軒・先斗町・祇園甲部・宮川町・祇園東)の芸子さん、舞妓さんが順番に参列することになっている
その年の「京都きものの女王」も参加する
1950年(皇紀2610)昭和25年
時代祭が復興され、この年より婦人列も加わる