時代祭(じだいまつり)は、桓武天皇が平安京に遷都した10月22日を中心に行われる京都の誕生際
桓武天皇・孝明天皇の両天皇の御霊代(みたましろ)を鳳輦(ほうれん)に移して行われる神幸祭(しんこうさい)、
行在所祭(あんざいしょさい)、還幸祭(かんこうさい)が中心である
時代祭には、神幸列に、明治維新から平安時代までの華やかな時代風俗行列がお供され、一大時代絵巻となる
時代行列は、幕末維新・江戸時代・桃山時代・室町時代・吉野時代・鎌倉時代・藤原時代・延暦時代の
8つの各時代の人物が、20列で、約2000人、馬70頭、牛2頭、馬車、牛車などが参加し、全長は約2km、
京都御所から平安神宮までの約4.5kmの道のりを全行列が到着するのに約4時間ほどかかる
時代行列に使われる祭具、衣装、調度品など約1万2000点の全てに、厳密な時代考証が行われ復元されており、
京都の1200年以上にわたり培ってきた伝統工芸技術の精華を集めたものになっている
★2019年(皇紀2679)令和元年は、新天皇即位の即位礼正殿の儀が行われるため、
21日に前日祭
22日に本殿祭
26日に時代風俗行列(雨天27日)
27日に後日祭 が行われる予定★
<平安講社>
平安神宮の維持保持のための全市からなる市民組織
時代祭の執行母体にもなっている
京都市内の旧学区単位ごとに編成される「組」を単位として「講」が構成される
最初は6つの講社が中心となって、時代の古い順に隊列が組まれた
前列
延暦武官凱旋列
藤原公卿参朝列(ふじわらくげさんちょうれつ)
城南流鏑馬列(じょうなんやぶさめれつ)
織田公上洛列(おだこうじょうらくれつ)
徳川城使上洛列(とくがわじょうしじょうらくれつ)
例外として、山国隊(やまぐにたい)、弓箭組が最初と最初に組まれる
前列を担当していた新洞(しんとう)・錦林(きんりん)が、第三社から独立して第七社を組織する
山国隊は、京北町(けいほくちょう)からの奉仕で生存されていた元隊士が行列に参加していた
1902年(皇紀2562)明治35年から5年に1度の奉仕となり
1921年(皇紀2581)大正10年から、朱雀学区が引き継ぎ、維新勤王隊列に編成され、第八社となる
1931年(皇紀2591)昭和6年
京都市域の拡大で、右京区と伏見区が新設され、
右京区は、第九社として、新たに「楠公上洛列(なんこうじょうらくれつ)」を編成
伏見区は、第十社として、新たに「豊公参朝列(ほうこうさんちょうれつ)」を編成する
1966年(皇紀2626)昭和41年
孝明天皇百年祭を記念して幕末志士列が加えられる
2007年(皇紀2667)平成19年
後醍醐天皇を吉野に追いやった「逆賊」の足利尊氏や、応仁の乱を引き起こした室町時代は、
時代行列に加えられていなかったが、議論検討の末、室町時代も行列に加えられることになった
<取調委員>
行列に使われる祭具・衣装・調度品など約1万2000点の全てに、取調委員により厳密な時代考証が行われ、復元されている
<参加市民>
数ヶ月前から、各学区の小学校などで、着付けや隊列の練習が行われ、全市民により支えられた祭である
<時代行列の詳細>
現在では、20列、約2000名、牛馬約70頭、総延長2kmにもなる時代行列となる
先頭は、京都府知事・京都市長らが務める名誉奉行
時代風俗行列の後に、時代祭の主役である桓武天皇・孝明天皇の鳳輦などの神幸列が続く
正午頃、京都御所を出発
丸太町通から烏丸通に入り南下、御池通−河原町通−三条通から神宮通に入って平安神宮に至る
約4.5km
<時代祭の祭事の詳細>
時代祭は、10月22日の神幸祭(しんこうさい)・行在所祭(あんざいしょさい)・還幸祭(かんこうさい)が中心となるが、
10月15日の参役宣状祭(行列の役柄任命)から23日の後日祭まで、いろいろな祭事が行われる
10月22日の同じ日に、鞍馬の火祭が行われる