江戸時代中期
欄縁の箱銘によると、
1777年(皇紀2437)安永6年頃
舁山として建造されたとされる
「引山記」によると、
1799年(皇紀2459)寛政11年
舁山として建造されたとされる
町衆が10年間、祝儀・不祝儀・諸普請を問わず、質素倹約に努めることを申し合わせて経費を捻出したといわれ、
文末には「町中が、えいやえいやと、引山に、なおすも神のちからなりけり」と記されている
ご神体は、能楽「難波」の主人公の王仁像
王仁は、応神天皇が百済国から招いたとされる漢の高祖の子孫といわれる学者
「論語」10巻、「千字文」1巻を日本に伝来した渡来人
<見送幕>
表裂正絹綴錦の群鶴図
1982年(皇紀2642)昭和57年2月完成、190年ぶりに新調される
<見送幕>
刺繍の高士観瀑図
1799年(皇紀2459)寛政11年9月の制作
2000年(皇紀2660)平成12年に修復されている
<矢田町>
亀山城内外は、内堀・外堀・惣掘の三重のお堀と御土居で仕切られており、城下町を囲む惣掘と御土居の内側にある
町内の宗福寺や正誓寺は、有事のときに陣を張れるように、現在の地の移された
町割は、筋違いや袋小路などが造られ、城の護りとして工夫されている
正誓寺の東南端のところは、「出張り」と称されて、ここで道が大きく屈曲して、鍬山神社一ノ鳥居へ続く