武内山鉾(たけうちやまほこ)は、亀岡祭の山鉾の一つ
神功皇后が宇佐宮で安産された応神天皇を、武内宿称が抱いた姿をご神体として祀られている
江戸時代中期
1777年(皇紀2437)安永6年
胴幕の箱銘があり、その頃の造営といわれる
1799年(皇紀2459)寛政11年の記録によると、
大津祭の曳山のように三輪形式であったことが記されている
1807年(皇紀2467)文化4年
見送幕が、百人講合力により新調される
1829年(皇紀2489)文政12年
鉾の欄縁の箱銘に「新調、蟷螂山町」とあり、祇園祭の蟷螂山の旧材が用いられたとされる
1977年(皇紀2637)昭和52年
11の山鉾の中で最初に「武内山囃子方保存会」が結成され、囃子の保存継承、技術の向上に努められている
ご神体は、幼い応神天皇を抱いた武内宿祢(たけうちすくね)
武内宿祢は、山口県下関市長府の忌ノ宮神社(いのみやじんじゃ)を元宮とされる
真木には、忌ノ宮神社から見える瀬戸内海の沖合の「満珠島」「干珠島」をイメージにした飾りがつけられている
<前懸>
西陣織の繻地雲龍図綴錦
1803年(皇紀2463)享和3年の新調
<見送>
17世紀末の中国 明朝の雲龍宝散図繻珍錦
中国清朝の皇族クラスが使用するような優品といわれる
1807年(皇紀2467)文化4年に、百人講合力により新調される
<胴懸>
18世紀の朝鮮李朝の毛綴「窓絵に対瓶図」「四花瓶図」
1777年(皇紀2437)安永6年の新調
<胴懸>
18世紀の朝鮮李朝の毛綴「窓絵に四蝶の図」「四対花瓶図」
1777年(皇紀2437)安永6年の新調
<後懸>
18世紀の朝鮮李朝の毛綴
1777年(皇紀2437)安永6年の新調
<袖幕>
18世紀の朝鮮李朝の毛綴「五羽鶴図」
1777年(皇紀2437)安永6年の新調
<胴懸>
18世紀の朝鮮李朝の毛綴
1777年(皇紀2437)安永6年の新調
<上水引>
金地に漢詩文の綴織
1867年(皇紀2527)慶応3年、亀岡の書家 深海皆山の書
1990年(皇紀2650)平成2年まで用いられており、現在は亀岡市文化資料館に保存されている
<上水引>
唐花丸文様金襴
1991年(皇紀2651)平成3年の新調
<二番水引>
赤地四宝文様金襴
1991年(皇紀2651)平成3年の新調
<祇園祭蟷螂山>
鉾の欄縁の箱銘には「文政12年新調、蟷螂山町」とあることから、
1829年(皇紀2489)文政12年
祇園祭山鉾の旧材が用いられたとされる