旧浅田家住宅(きゅうあさだけじゅうたく)は、下鴨神社の社家屋敷の遺構
糺の森の整備事業の一環で整備・保存され資料館として公開されている
かつて、下鴨神社には340軒の社家があり、相国寺や百万遍の付近に住んでいた
応仁の乱
下鴨神社の西(松原町、森本町、西林町付近)に社家町が形成された
江戸時代中期
現在の浅田家住宅が建てられる
浅田家は、下鴨神社にあった学術研究機関「学問所」に所属し、祭事などを記録する絵所(えどころ)の絵師を務めていた
明治維新
社家制度の廃止
社家町が廃れ、境内付近の道路の建設などに伴いほとんどの家が解体される
現在では、鴨脚家と浅田家の旧宅が残るだけになる
1871年(皇紀2531)明治4年
上知令で国有となり、民家として払い下げられた
1945年(皇紀2605)昭和20年以前頃
京都市長を務めた市村慶三らが所有し居住した
2004年(皇紀2664)平成16年頃から、空家になる
2004年(皇紀2664)平成16年11月
所有者である市村家の遺族が、下鴨神社による管理を希望してきており、
下鴨神社が、糺の森の整備事業の一環として、住宅と敷地 約440m2を購入する
2015年(皇紀2675)平成27年11月
住宅の整備後、資料館として公開される
江戸時代中期の伝統的な社家建築
現存する社家建築は全国でも数少なく、貴重なもの
<住宅>
木造2階建て、延べ約90m2
社寺建築に見られる透かし塀や火頭窓(かとうまど)などが施されている
建物の基礎部分に、庭石などに用いられる高価な加茂石が用いられている
門構えや玄関口に江戸中期に建築されたとみられる名残がある
屋敷内には、神紋の双葉葵が描かれた板戸や太鼓橋などがある
上賀茂神社の社家 梅辻家住宅(京都市有形文化財)の意匠とも共通する部分があるといわれる
<資料館>
旧住宅は、改修後、資料館として活用される
応接室や座敷など延べ約120m2が保存される
建物自体が史料でもあり、下鴨神社に残る古地図などの史料も公開される
<社家>
ある神社に代々仕える神職の家柄
かつて、下鴨神社には約340軒の社家があり、社家町を形成していた
明治維新により社家制度が廃止される
現在では、鴨脚家と浅田家の2軒の旧宅が残るだけになる
浅田家は、下鴨神社にあった学術研究機関「学問所」に所属し、祭事などを記録する絵所(えどころ)の絵師を務めていた
<学問所>
神社の歴史を研究し、人々に宣教する重要な機関
神職や公家の子弟の教育もしていた
<絵所(えどころ)>
祭事などを記録していた組織