琵琶湖疏水記念館(びわこそすいきねんかん)は、琵琶湖疏水竣工100周年を記念し、
先人たちの偉業を後世に伝えていくために開館された記念館
琵琶湖疏水を利用して物資を運んでいた南禅寺舟溜・インクライン跡の横に建てられている
展示室には、計画・設計・工事の様子などを示す資料・インクラインの模型などが展示され、水車・発電機などもある
見学者は、年間約8万人
入館見学は、無料
琵琶湖疏水は、明治維新と首都機能の東京移転で沈み切った京都の復興策として、
当時の京都府知事北垣国道が提唱し実施された一大土木事業
1885年(皇紀2545)明治18年に着工、1890年(皇紀2550)明治23年に完成
日本最初の営業用の水力発電も行われ、日本最初の路面電車の運行にも貢献した
<南禅寺舟溜>
琵琶湖疏水を利用した物資運搬に用いられた疏水船の荷揚場や舟の停泊に利用されていたところ
インクライン(傾斜鉄道)跡がある
<噴水>
インクラインの下には、疏水の水を山ノ内浄水場へ送るための導水管が埋設されており、
その導水管から分岐させた水を、自然の圧力によって噴き上がるようにしたもの
<琵琶湖疏水計画古図>
江戸時代後期の1800年(皇紀2460)寛政12年頃に作られた琵琶湖疏水の計画図
如意ヶ岳の下をトンネルで貫いて、白川上流に出る計画だったが、
出口が琵琶湖より高いところにあり、水が流れず実現不可能な計画だった
<通水目論見実測図>
1883年(皇紀2543)明治16年
京都府知事北垣国道の指示で、島田道生が測量し、墨で書き上げた京都−大津間の詳細な地図
全長5m
これを基に、琵琶湖疏水の線路位置が検討された
<諮問案・起功趣意書>
1883年(皇紀2543)明治16年
京都市の有力者50人が参加する勧業諮問会に提出されたもの
琵琶湖疏水計画の全容が初めて明らかにされ、
「京都復興の基礎となる物産振興、舟運開発を目指すには琵琶湖疏水が最上」と明確に指摘されている
<疏水事務所看板>
京都府琵琶湖疏水事務所
最初は、京都府庁内におかれ、藤尾、蹴上へと移転された
<疏水工事図巻>
洋画家 田村宗立が描いた琵琶湖疏水の難工事などを描いた記録絵
<カンテラ>
当時は電灯がなく、工事監督者用にはカンテラが用いられた
<レンガ>
輸入品のセメントは高価だったため、大きい目のレンガを製造して用いられた
琵琶湖疏水工事で必要とした1400万本のレンガは、自営で製造された
<田邉朔郎卒業論文草稿「琵琶湖疏水工事」>
1883年(皇紀2543)明治16年
「琵琶湖疏水工事」と「隧道建築編」の2冊
田邉朔郎が、工部大学校時代に大津から京都間の疏水線路を踏査して調べているときに、
削岩機で右手中指を傷つけたため左手で書かれている
<疏水工事記録>
田邉朔朗が、工事の際に記録したもの
1887年(皇紀2547)明治20年2月から1890年(皇紀2550)明治23年11月までの
琵琶湖疏水工事の種々の問題が箇条書で記録されている
解決したものには上に「済」と記された
表紙の英語は、田邉朔朗の座右の銘といわれ、他の工事記録にも同じ言葉が記されている
<テルフォードメダル>
1890年(皇紀2550)明治23年に、田邉朔郎が琵琶湖疏水工事のあらましを英国の雑誌に報告したことで、
シビルエンジニヤの会員となり、後にテルフォードメダルが贈られたもの
<京都電気鉄道模型>
琵琶湖疏水を利用した水力発電により、京都電気鉄道会社によって、
日本で始めての電車が京都−伏見間6.3kmが営業開始した
<蹴上インクライン模型>
1891年(皇紀2551)明治24年12月
高低差36.4mの急傾斜を、舟を通すために敷設した傾斜鉄道
第3トンネル西口を出た運河の西端から、南禅寺町の舟溜までの延長581.8m
運転には、琵琶湖疏水による蹴上発電所の電力が使われた
<インクラインのレール>
1888年(皇紀2548)明治21年に製造された鋼鉄製レール
1本の長さは6m
当時の鉄道では、英国式の錬鉄製の、上下ひっくり返して再使用できる双頭レールが使われていたが、
インクラインでは、最新型の平底形レールが用いられた
<舟の鑑札>
琵琶湖疏水での舟を運航するための京都市の許可鑑札
この鑑札がないと、運行ができなかった
<蹴上発電所模型>
田邉朔朗らの米国視察により、当時米国で成功したばかりの水力発電所が建設されることになった
<京都市三大事業パネル>
京都市三大事業(水利事業(第2疏水と発電所建設)・水道創設事業・道路拡築ならびに電気鉄道敷設事業)の概要説明
推進者の当時の京都市長 内貴甚三郎と西郷菊次郎が紹介されている
<西郷菊次郎の鞄>
京都市長 西郷菊次郎が使用していた鞄
<第2疏水開鑿許可書>
第2疏水の許可書
別紙命令書で「年1600円を滋賀県に納入」が命じられており、これが現在の疏水感謝金となっている
<蹴上浄水場模型>
1912年(皇紀2572)明治45年4月から給水開始
日本初の急速ろ過式の浄水場
最初の給水能力は68,000m3
<ペルトン式水車>
直径2.4m
日本最初の水力発電所である蹴上発電所の水力発電で用いられた水車
米国のペルトン社の設計・製造
<スタンレー式発電機>
蹴上発電所の水力発電のための発電機
米国スタンレー社から輸入し、第4号機として設置された二相式交流発電機
1897年(皇紀2557)明治30年には、19台設置されていた