白沙村荘(はくさそんそう)は、橋本関雪が、居宅として造営した邸宅
庭園、建造物は、橋本関雪の設計で、石造美術品は、橋本関雪の収集品
「日本画家がその美意識に基づいて造り上げた庭園」として国の名勝に指定されている
現在、橋本関雪記念館として、同画伯の作品およびコレクションが公開されている
橋本関雪の収集には、ギリシャ陶器、中国、日本の文人画などの古美術がある
広さ約2200坪
大文字山を借景とした池泉回遊式庭園
橋本関雪の設計
杉木立の中の石塔や大小の池の周囲に平安・鎌倉時代の石灯籠、石仏などの石造美術が約180点が配置されている
茶室や、地蔵尊菩薩立像(重要文化財)を安置した持仏堂などもある
夕佳門(ゆうかもん)で東西二つに分けられる
東側は、琵琶湖疏水から水を引き入れた芙蓉池を中心とする(現在は、地下水が用いられている)
哲学の道の桜並木は関雪婦人が寄贈したもの
8月上旬には、百日紅が咲く名所
全て橋本関雪が自らの設計されたもの
<存古楼(ぞんころう)>
文展や帝展などの御前展覧会に出品する大作を描くための画室
庭園の中央に建つ
広さ52畳の板敷
1916年(皇紀2576)大正5年の建立
二階の特別室からは、大文字山を正面から展望できる
池に映る送り火を観賞できるようにも構成されている
<夕佳門(ゆうかもん)>
白沙村荘の東西を分つ門
苔むしの湾曲した大きな屋根
昭和時代初期の頃の建立
<問魚亭(もんぎょてい)>
画稿を考案する時などに使われていた草庵
大部分が池に突き出すように建てられている
旧称は、岸につながれた船という意味を持つ「如舫亭(にょほうてい)」と称されていた
広さ4畳半の畳敷
大正時代の建立
1932年(皇紀2592)昭和7年に茶室部分が造営される
<憩寂庵(けいじゃくあん)>
茶室
高台寺の塔頭 圓徳院にあったといわれる茶室を手本にしたといわれる
東大寺から譲り受けたといわれる幅1尺の床柱
広さ4畳半の畳敷
1932年(皇紀2592)昭和7年頃の建立
<倚翠亭(いすいてい)>
妻 ヨネのために建てた茶室の広間
広さ6畳半の畳敷
1932年(皇紀2592)昭和7年頃の建立
<国東塔(くにさきとう)>
全高約7mの塔
別府に置かれていた静御前の供養塔を、橋本関雪が京都まで運んできたもの
大分県の国東半島で作られていた様式であることから名付けられる
鎌倉時代の作といわれる