何有荘(かいうそう)は、左京区の南禅寺の南側にある別荘の一つ
明治時代末期に、実業家・文化人の稲畑勝太郎の所有の別荘となり
庭師 七代小川治兵衛(植治)作庭による日本庭園が造られ、武田五一設計の洋館が建てられ「和楽庵」と称された
高低差のある約6千坪の敷地となっている
斜面の下段になる敷地北側の平坦部に、2つの茶室や居住用の建物などが、
斜面には池や3つの滝・流れが作られ、
斜面上段の敷地南側の小壇には、草堂が建てられ、下段の庭園全体を見おろし、京都市街も一望できる
<池泉回遊式庭園>
7代目小川治兵衛(植治)の作庭
琵琶湖疏水からの豊富な滝水を利用して、小川治兵衛の作庭の中でも、最もダイナミックな庭園になっている
傾斜地を利用して、「瑞龍」「龍吟」と称される滝が3カ所造られる
瑞龍の滝(ずいりゅうのたき)は、元首相 西園寺公望の命名
龍吟庵の横を流れる
連珠の滝(れんじゅのたき)は、神仙亭の横を流れる
鐘楼や水車小屋なども置かれている
秋には、紅葉の赤、滝の白、芝生や苔の緑の見事な調和に包まれる
<本堂>
居住用の建物
<豆の子稲荷>
<茶室「龍吟庵」>
抹茶用の茶室
<茶室「神仙亭」>
煎茶用の茶室
<洞窟>
斜面の途中から、上段の草堂へと続く洞窟が造られている
<草堂>
斜面上段の小壇に建てられている
<展望>
下段の庭園全体を見おろせる
南禅寺の三門から岡崎界隈までを見渡すことができ、五山の送り火も見ることができる
<植栽>
アカマツやモミジ、シダレウメ、シダレザクラなどの高木や、キリシマツツジ、ドウダンツツジなどの低木が植えられている
<洋館>
斜面下段の平坦部に建てられていた
木造2階建・瓦葺、広さ約150m2
1916年(皇紀2576)大正5年
武田五一設計により建立された
2013年(皇紀2673)平成25年
武田五一が教授をしていた京都工芸繊維大学松ヶ崎キャンパスに移築された
<和楽庵(わらくあん)>
染色事業や映画興行をしていた実業家・文化人の稲畑勝太郎が、南禅寺塔頭の跡を取得して、
隣接する農地や疏水用地を取得し敷地を拡張し、庭園を造営して茶室や洋館などを建て、和楽庵(わらくあん)と名付けた
内外の要人が訪ねる京都の社交場や京都の音楽活動の拠点としても活用された
<何有荘>
稲畑勝太郎の死後、宝酒造の会長を務めた大宮庫吉が譲り受け「何有荘」と名付けられた
「何か有る様で何も無い。何も無い様で何か有る」という禅の言葉が由来といわれる