新島襄旧邸(にいじまじょうきゅうてい)は、同志社大学の創立者 新島襄の自邸として建設されたもの
京都御所の東側の寺町通沿いに建つ
建物は、木造の2階建、北側に平家部分が付属する
設計は、新島襄自身によるもので、
宣教医テーラーの助言により、三面にバルコニが張り巡らされているアメリカ植民地時代の
「コロニアルスタイル」と称される建築様式(柱廊様式)
細部装飾がほとんどなく、真壁の白い壁面に茶渇色の木部が配されている
屋根は瓦葺
2足制の椅子式になっているが、和室もあり、畳の部屋に椅子と机を置いたり、和洋折衷の趣を持つ
「引き窓」と「開き窓」が混在しており、
「引戸」と「開戸」が掃き出し形式(床からの開口)になっている部屋もある
国産の洋家具57点も残り、簡素な屋内意匠とよく調和しており、
明治時代初期における家具技術を表す貴重なもの