西行庵(さいぎょうあん)は、円山公園の南に建つ茅葺の小堂
雙林寺の飛地境内になる
平安時代の歌僧 西行は、雙林寺塔頭 蔡華園院(さいけおういん)に隠棲し、終焉を迎えたところといわれる
西隣には、松尾芭蕉のゆかりの芭蕉堂がある
<石標「西行法師蔡華園院之跡」>
<母屋「浄妙庵(じょうみょうあん)」>
道に面して建っている草庵
大徳寺 塔頭 真珠庵の別院「浄妙庵」を移したもの
茅葺、寄棟造、四注屋根に瓦葺下屋
東の茶室「皆如庵」とは廊下で繋がる
南西に瓦敷の席、その東に二畳台目の席、さらに奥に四畳半茶室、水屋、二畳、六畳などがある
<花月庵(西行堂)>
板敷、方10尺(3m))、三方に縁、蔀戸
堂内の中央厨子内に西行法師僧像、右に僧 歌人 頓阿法師僧像、左に小文法師の木像が安置されている
厨子扉に、冷泉為村歌「二もとの言葉のかげに名に高し正しき風を代々に残して」
「花は根にかへりし後の影古りて見ぬ世を偲ぶ三月 二月」が記されている
中央に冷泉為村筆「花月庵」の横額が掲げられている
1731年(皇紀2391)享保16年
摂津池田 李孟寺の天津禅師が現在の地に花月庵を移築する
洛西双ヶ丘麓の頓阿の蔡華園院を移築して再興したといわれる
1770年(皇紀2430)明和7年
公家・歌人 冷泉為村が修繕を行う
<茶室「皆如庵(かいにょあん)」>
桃山時代の名席とされる
現存する草庵風茶室としては最古級とされる
切妻屋根、檜皮葺の庇
道安囲いの席(手前座1畳分が壁で仕切られ火灯口を開ける)、四畳半切向切
中央に躙口、左に板縁、貴人口(障子2枚立)、長四畳、道安囲いの点前座と客座(三畳)との間に一枚引きの襖で仕切られている
円窓床(えんそうどこ)と道安囲(どうあんがこい)の点前座(てまえざ)がある
円窓(引分障子、中央縦に小幅板)の床は、夜の茶席で隣室の灯火が客座を照らし出す趣向になっていた
「夜噺(よばなし)の席」とも称された
1894年(皇紀2554)明治27年
北野の久我別邸(こがべってい)より移され、再興された
大久保利通、桂小五郎、西郷隆盛らが集ったといわれる
<供養塔>
堂前に、かな書の碑(芭蕉翁碑)(仮名塚)がある
西面し、序銘が刻まれている
高さ1.2m、幅45cm
1710年(皇紀2370)宝永7年
俳諧師、蕉門十哲の一人 各務支考(かがみしこう)が、芭蕉一七回忌に立てた
傍らに、梅花仏(支考)、俳人 蘆元(仙石盧元坊)の供養塔が立つ
<西行桜>
庵の裏に植えられている
「花見むと 群れつつ人の来るのみぞあたら桜の咎にはありける」(西行)
能「西行桜」の舞台の「西行の庵」は西山(嵯峨野)にあり、東山の西行庵ではない
<西行忌茶会>
3月中旬
皆如庵で供養の釜がかけられる
<小文忌>
10月13日