小倉百人一首文芸苑 野々宮地区(ののみやちく)は、
小倉百人一首の編纂の舞台となった嵐山・嵯峨野エリアに作られた歌碑の野外展示場の一つ
5ヶ所の公園・公有地に、10の勅撰和歌集ごとに百首の歌碑が建てられている小倉百人一首文芸苑の一つ
小倉百人一首歌碑巡りの一つ
野宮神社から南、天龍寺への竹林の参道沿いにある
<新勅撰和歌集 4首>
東側に2基、手前に入道前太政大臣、奥に権中納言定
西側に2基、手前に鎌倉右大臣、奥に従二位家隆
<順番・歌人・石碑の揮毫>
93番 鎌倉右大臣 大脇双琳
96番 入道前太政大臣 平間長雅
97番 権中納言定家 冷泉為人
98番 従二位家隆 木村道子
<石材>
加茂川真黒石(変成岩)
小松石(花崗岩)
庵治石(花崗岩)
<植生>
イロハモミジ・ヤマザクラなど
<用地>
京都市古都保存事業用地
<鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)>
西側の手前に置かれている
小倉百人一首:第93番
作者:源実朝(源頼朝の次男)
石碑の揮毫:大脇双琳
「世の中は つねにもがもな 渚こぐ あまの小舟の 綱手かなしも」
(この世の中は、いつまでも変わらないでいてほしいものだ
渚にそって漕いでいる、漁師の小船をひき綱で引いている風情はいいものだからな)
<入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)>
東側の手前に置かれている
小倉百人一首:第96番
作者:藤原公経(西園寺公経)
石碑の揮毫:平間長雅
「花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり」
(降っているのは、嵐が庭に散らしている花吹雪ではなくて、実は歳をとっていくわが身なのだな)
<権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)>
東側の奥に置かれている
小倉百人一首:第97番
作者:藤原定家
石碑の揮毫:冷泉為人
「こぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くやもしほの 身もこがれつつ」
(どれほど待っても来ない人を待ち焦がれているのは、松帆の浦の夕凪のころに焼かれる藻塩のように、
わが身も恋い焦がれて苦しいものだ)
<従二位家隆(じゅうにいいえたか)>
西側の奥に置かれている
小倉百人一首:第98番
作者:藤原家隆
石碑の揮毫:木村道子
「風そよぐ ならの小川の 夕暮れは みそぎぞ夏の しるしなりける」
(風がそよそよと楢(なら)の葉を吹きわたるこのならの小川(明神川)の夕方は、(もうすっかりと秋のような気配だが)
川辺の禊祓(みそぎはらい)を見ると、まだ夏であるのだな)