びわ湖疏水船(びわこそすい)は、琵琶湖と京都を結ぶ人工運河である琵琶湖疏水を巡る観光船
天智天皇山科陵の横や、東山自然緑地の中などを通り、鮮やかな紅葉や、美しい桜並木、新緑が楽しめる
航路にある4つのトンネルの出入り口には、伊藤博文や北垣国道、山縣有朋などが揮毫(きごう)した扁額が掲げられている
航路は、大津閘門(大津市)の大津乗下船場から、旧御所水道ポンプ室の蹴上乗下船場まで約7.8km
航路上にトンネルは4つある
各トンネルの入口には、京都に係わる政治家らが揮毫(きごう)した扁額(へんがく)と称される石の額が掲げられている
<大津閘門 大津乗下船場>
水門を開けて舟を通したり、水位を調整するところ
日本最初のれんが造りの本格的な閘門、当初の扉は木製で、開閉は4人がかりで動かしていた
<第一トンネル東口洞門>
扁額「気象萬千(きしょうばんせん)」(揮毫者:伊藤博文)
「様々に変化する風光はすばらしい」という意味がある
第一トンネルは、長等山を貫き「長等山トンネル」と称される
<第一トンネル内>
扁額「寶祚無窮(ほうそむきゅう)」(揮毫者:第三代京都府知事 北垣国道)
「皇位は永遠である」という意味がある
トンネル内にあるので、びわ湖疏水船からでないと見れない
<第一トンネル 第一竪坑>
地上部直径5.5m、深さ47mの竪坑
当時は日本最長だった全長2,436mのトンネルを掘るために、長等山の両側と、
長等山の山上から垂直に穴を掘り、そこから両側に掘り進める「竪坑方式」が日本で初めて採用された
堅い岩や大量のわき水により工事は難航したといわれる
<第一トンネル 西口洞門>
扁額「廓其有容(かくとしてそれいるることあり)」(揮毫者:初代外務大臣 山縣有朋)
「疏水をたたえる大地は、奥深くひろびろとしている」という意味がある
洞門のデザインは、田邊朔郎が設計したときに、
アメリカのトロイ・グリーンフィールド鉄道のフーザックトンネルのデザインを参考にしたといわれる
<緊急遮断ゲート>
1999年(皇紀2659)平成11年
阪神淡路大震災の経験から、大地震による堤防決壊時に水流を自動停止する緊急遮断ゲートが設置された
<藤尾橋>
赤レンガと石造りの土台の橋
琵琶湖疏水工事で最初にできた橋
<四ノ宮舟溜 山科乗下船場>
荷の揚げ下ろしや、人の乗り降りなどのためにつくられた舟溜(ふなだまり)
周辺は、桜の名所になっている
<諸羽トンネル>
1970年(皇紀2630)昭和45年
JR湖西線工事で新設されたトンネル(約520m)
<安朱橋>
毘沙門堂の参道にかかる橋
琵琶湖疏水と立体交差して、下を安祥寺川が流れている
桜の名所と菜の花の名所
<本圀寺正嫡橋>
琵琶湖疏水上を斜めに渡る鮮やかな朱塗りの橋
日蓮聖人ゆかりの本圀寺に向かう橋
<第二トンネル 東口>
第二トンネルは、航路上のトンネルの中では最も短い約124mのトンネル
扁額「仁以山悦智為水歓(じんはやまをもってよろこび、ちはみずのためによろこぶ)」(揮毫者:初代内務大臣 井上馨)
「仁者は動かない山によろこび、智者は流れゆく水によろこぶ」という意味がある
縦に4列で書かれており、第一疏水のトンネル洞門に掲げられている扁額の中で、最も文字数が多い
<第二トンネル 西口>
洞門の口が、他のトンネルのように半円ではなく、少し尖ったような形なっている
扁額「随山到水源(やまにしたがいて、すいげんにいたる)(揮毫者:西郷従道)
「山に沿って行くと水源にたどりつく」という意味がある
<第11号橋>
1903年(皇紀2563)明治36年に造られた日本最初の鉄筋コンクリート橋
付近に「本邦最初鐵筋混凝土橋」と記された石碑がある
<第三トンネル 東口>
延長850mのトンネル
扁額「過雨看松色(かうしょうしょくをみる)」(揮毫者:初代大蔵大臣 松方正義)
「時雨が過ぎると、いちだんと鮮やかな松の緑をみることができる」という意味がある
<第三トンネル 西口>
扁額「美哉山河(うるわしきかなさんが)」(揮毫者:初代内大臣 三条実美)
「なんと美しい山河であろう」という意味がある
<旧御所水道ポンプ室>
防火用水として京都御所に水を送る専用の御所水道のためのポンプ室
京都御所で一番高い紫宸殿の屋根より高く放水できるよう、背後の山上の貯水池に水を圧送する施設
<蹴上乗下船場>
旧御所水道ポンプ室のすぐ近くにある