聴竹居(ちょうちくきょ)は、建築家 藤井厚二が住宅の理想形を追い求めて建築した自邸
藤井厚二は、大正時代、昭和時代初期の建築家・建築学者
聴竹居は、藤井厚二の自邸として、5度目に天王山の麓の大山崎の山手に建てられた最後の実験住宅
木造モダニズム建築で、日本の気候風土、和洋を融合させた日本最初の環境住宅といわれる
天王山の麓の大山崎の山手に1万2千坪の土地を購入して、自邸とする実験住宅が建築される
5度目の実験住宅として建てられる
日本の気候風土に適した住宅を環境工学の視点から科学的に捉え、納得して出来上がった集大成の住宅
モダンなたたずまいで、環境に配慮した先進的な工夫がされている日本最初の環境住宅とされる
リビング中心の設計で、ほぼ全面バリアフリーになっている
冷暖房対策も工夫されており、
夏には、淀川から上がってくる西風を室内に取り込んで自然の換気扇となっている
<土台>
耐震性のためコンクリートで固め、耐風のために平屋建てにされた
<壁>
日本古来の伝統的な技術である耐熱性に優れた土蔵壁が採用され、木舞壁の上に土を塗り、漆喰で仕上げられている
木舞壁とは、直径5〜12cmの竹を、幅2cmくらいに割り、
その竹を縦横に配置して一つの目が3cmくらいの枡に縄で編みあげ、
それを芯にして、下地の泥に藁を切り込んだ荒壁を厚く塗り、漆喰などで仕上げた壁のこと
<屋根>
銅板葺きと、瓦葺が使い分けられている
太陽の角度から日照りを計算し、勾配と庇の長さを変えて、夏の日差しが入らず、冬には日が当たるように工夫されている
<窓>
窓が多く、窓枠が焦げ茶色で、周辺の木々に溶け込んでいる
窓の上部と下部には、磨りガラスが用いられ、余計な視線を遮られている
<玄関>
建物の東端(右側)にあり、洋風の扉になっている
玄関を入るとすぐに居室となっていて、
その居室を囲むように読書室、食事室、調理室、縁側、客室がある
玄関の目隠しとして、左右に板があり、その上部を四半円がデザインされている
<居室>
床には板が敷かれたフローリングになっていて、モダンな感じになっている
正面に一段あがる3畳ほどの畳の空間があり、30cmほど高い小上になっている
小上がりは、椅子に座っている人と畳に直に座っている人の目線の高さが合うように計算されている
段差には、夏に西風を取り入れる通気口が設けられている
空気は各室の排気口を通じて屋根裏へ抜けるように設計されている
空気が流れることにより、熱や湿気を交換することで、1年を通じて快適に過ごせるように考えられている
天井には紙を5枚張り重ね、湿気を吸い取るようになっている
中央の居室がすべての起点となっており、いかに快適に居間で過ごせられるかが考え抜かれている
各部屋の間取り上部の欄間は障子にされており、必要に応じて開閉することで新鮮な空気を循環させることができる
<客室>
玄関のすぐ脇に客室がある
広さ10m2、板張りで、自作の机と椅子があり、ソファーは作り付けになっている
椅子は、着物を着た女性が座りやすいように座後ろを大きく開けられている
照明は三角形のおしゃれなデザインになっている
洋室と床の間があり、椅子に座った人と、畳に座っている人と、目線が合う位置に調整されている
天井は、竹皮や杉皮の網代編みで、工芸的な美しさがある
<食事室>
居室の隅に1段高くなって食事室がある
入口には1/4にカットした円形の幾何学的なアーチがある
食堂入口の壁には、藤井自身がデザインした時計があり、その下には作り付けの棚がある
<読書室>
子供部屋のようになっている
<縁側(サンルーム)>
建物左側にあり、全長10mの窓ガラスのサンルームとなっている
縁側の角には柱がなく、屋根の工夫によって屋根の端を吊り上げるような造りになっている
本来壁と柱となる部分には、3方向に窓が設置され外の景色が透けているようで美しい仕上がりとなっている
天井は、客室と同じく網代編みとなっている
屋根の軒先の角度が調節され、居室に、夏の日差しが入らず、冬は日が入るようにされている
ガラスの上部は、刷りガラスになっている、軒先が見えないようになっていて、
目線は目前の風景だけが見え、見下ろす川のパノラマ感を演出している
ガラスの左右2枚の幅が違っており、風でガタガタなるのを完全に防いでいる
滑らして閉める枠の下の部分は、端の部分が僅かに高くなっていて、圧力を増やして、密閉感を高めている
藤井厚二(ふじいこうじ)は、建築環境工学の先駆者の一人
生年:1888年(皇紀2548)明治21年12月8日
没年:1938年(皇紀2598)昭和13年7月17日
享年:51
広島県福山市の酒造家・金融業の「くろがねや」の次男
経済的にも文化的にも恵まれた環境で育つ
<現存する建築物>
村山邸(1919年(皇紀2579)大正8年)
大覚寺心経殿(1925年(皇紀2585)大正14年)
聴竹居(1928年(皇紀2588)昭和3年)
八木邸(1930年(皇紀2590)昭和5年)
小川邸(1934年(皇紀2594)昭和9年)
<著作>
「日本の住宅」
「床の間」
「聴竹居図案集」
藤井厚ニが、恵まれた財力を活かして研究を重ねていた自邸
日本の気候風土に適合した住宅とはどのような住宅か、日本の自然素材をこれからの住宅にいかに取り入れるかなど
日本の気候風土に適した住宅を環境工学の視点から科学的に捉え直し、その在り方を追求していた
藤井厚ニの著書「日本の住宅」には、第2回から第4回までの平面図や写真が掲載されている
<1度目>
2階建て住宅
1917年(皇紀2577)大正6年
竹中工務店に在籍中に完成させる
<2度目>
平屋建て住宅
京都帝国大学勤務途中に見つけた、 天王山の麓の大山崎の山手の土地を購入して建てられる
<3度目>
2階建て住宅
1922年(皇紀2582)大正11年
<4度目>
平屋建て住宅
3度目のものと形はよく似ているが、建物の方角や部屋割りを変えて風の流れを研究されている
藤井厚ニが移り住むことなく解体されている
<5度目>
1928年(皇紀2588)昭和3年
木造平屋建て、敷地内には茶室がある
竹の音を聴く居として「聴竹居」と名付けられた