松花堂庭園(しょうかどうていえん)は、八幡市八幡女郎花にある、池泉回遊式庭園がある文化施設
松花堂昭乗が住んでいた松花堂(国の史跡)や美術館が開設されている
広さ約22,000m2で、内園と外園に分かれている
外園は、小堀遠州が建てた茶室を再現した茶室や千宗旦好みの茶室などを持つ池泉回遊式庭園
珍しい竹が約400種類、茶花として珍重される椿が約200種、植栽されている
<吉井勇歌碑>
庭園入口にある
歌人 吉井勇が、松花堂庭園の近くの宝青庵に住んだときに、松花堂昭乗を偲んで詠んだ和歌を刻した歌碑
「昭乗といへる隠者のすみしいお 近くにあるをうれしみて寝る」
<茶室「松隠閑雲軒」>
入母屋造、銅板葺き屋根、床の高い建築様式
玄関、八畳の広間、四畳台目の本席、水屋で構成されている
本席は、床柱に栗の木の手斧(ちょうな)がけが使われ、床框(とこがまち)は朱色の漆塗りとなっている
松花堂昭乗が住んでいた男山の滝本坊の脇に小堀遠州が建てた茶室「閑雲軒」を再現したもの
<茶室「竹隠」>
数奇屋造、四畳半茶室
竹の中で最も美しいといわれる「金明孟宗竹」の竹林を借景として取り入れられている
北入りの貴人口、琵琶床、突き上げ窓、にじり口、連子窓(れんじまど)がある
金閣寺垣に囲まれている
<茶室「梅隠」>
千宗旦の居宅に設けられていた千宗旦好みの四畳半茶室を再現したもの
入口は貴人口で、外側に土間がついており、そこに中溜りが設けられている
その中溜りは、露地の中門の形式の一つである中溜りに相当するもので、それが茶室に結合されているという古い茶室の形式
竹枝穂垣に囲まれており、春には白梅、紅梅が咲く
水琴窟もある
<竹垣>
日本庭園で見ることのできる代表的な竹垣が全て観覧できる
18種ある
手すり垣:松花堂庭園入口より茶室までの途中
竹枝穂垣:茶室「梅隠」をかこんでいる
建仁寺垣:梅隠
黒文字垣:松隠
松明垣:松隠
金閣寺垣:竹隠外周
御簾垣:美術館別館前の庭園手洗い外周
寒竹あやめ垣:竹隠
萩小松明垣:竹隠
矢止め垣:竹隠
萩穂垣:竹隠
昭乗垣:内苑 女郎花塚をつなぐ道にある
竹枝穂垣
四つ目垣
晒竹あやめ垣
双竜垣:九頭竜垣と光悦垣をアレンジした全長26m
<女郎花塚>
謡曲「女郎花(おみなえし)」にちなむ
男山に住む小野頼風と恋仲にあった都の女性が、男が訪れてこなくなったことを恨み悲しんで、石清水八幡宮の側を
流れる放生川に身を投げた
女性の脱ぎ捨てた衣が土に還っていき、そこから女郎花が咲く
小野頼風がその女郎花に近づくと、恨み顔のような花が拒絶するかのように風で逃げなびく姿を見て、はかなんだ小野頼風は、
後を追って入水した
これを哀れんだ人々は塚を築いて、「女塚」「男塚」と称した
その女塚は「女郎花塚」と称されるようになる
男塚は「頼風塚」とも称され、現在は八幡今田にある
<竹と笹>
約400種類の竹と笹がある
茶室「竹隠」にある金明孟宗竹は、 宮崎県東臼杵郡と福岡県久留米市で発見されたもので、孟宗竹の突然変異
金色の地肌に一節飛びに表と裏に緑の縞が入っており、全体として金色と緑の市松模様になっている
<枝垂れ桜>
1992年(皇紀2652)平成4年11月1日
八幡市の友好都市である、エジソン生誕地のアメリカ オハイオ州・マイラン村と、中国・宝鶏市の使節団訪日記念に
植樹されたもの
内園は、松花堂昭乗が晩年に隠棲するためたてた草庵「松花堂(茶室)」や書院などの建物を苔庭や枯山水の築山で
囲まれている
<松花堂(京都府指定文化財)>
茶室「松花堂」兼持仏堂
春には赤い昭乗藪椿が咲く
<松花堂書院(京都府登録文化財)>
旧泉坊書院
書院前庭は、秋にはカエデやイチョウの紅色や黄色のコントラストが映える
小早川秀秋の寄進
<東車塚古墳>
古墳時代の前方後円墳
後円部が内庭の築山となっている
前方部は、木棺直葬と推定され、新山古墳と同笵の三角縁神獣鏡・内行花文鏡・盤龍鏡などが出土している
後円部は、粘土槨で、銅鏡・勾玉・素環頭大刀・鉄剣・鉄鏃・甲冑・鉄斧などが出土している
<展示室(地階)>
松花堂昭乗が遺した作品、交友のあった人たちのゆかりの美術品を展示する
館蔵品展や企画展、特別展が開催されている
<展示ホール(地階)>
松花堂昭乗が交流した人物や、その歴史が紹介されている
<文化・歴史情報ホール(1階)>
八幡市の歴史、歴史街道情報、文化情報、観光情報が紹介されている
<講習室>
3部屋あり、通しで利用の場合は最大100名の収容が可能
<松花堂昭乗>
石清水八幡宮の社僧、寛永の三筆(本阿弥光悦・近衛応山)とされた書の名人・書画・茶道・作庭などに通じた文人
晩年、隠居地として、石清水八幡宮のある男山の中腹に方丈の草庵を建て「松花堂」と称した
<松花堂跡(国の史跡)>
石清水八幡宮の影清塚から摂社 石清水社へ向かう途中にある小さな空き地
1637年(皇紀2297)寛永14年
石清水八幡宮の社僧 滝本坊住職だった松花堂昭乗が隠居地として方丈の草庵を建て「松花堂」と称した
二畳茅葺の茶室で、仏壇や水屋があった
明治維新の廃仏毀釈で、松花堂の建物・庭園は売却され、各地を転々とした後、東車塚古墳上に移築される
<京都吉兆 松花堂店>
松花堂弁当を創始した料亭
<ミュージアムショップ「おみなえし」>
松花堂グッズが販売されている