夢浮橋之古蹟(ゆめのうきはしのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「夢浮橋(ゆめのうきはし)」は、「源氏物語」第54帖(最後の巻)、宇治十帖の第10帖(最後の巻)
宇治橋西詰の観光案内所の向かって右側横に夢浮橋之古蹟の石碑が立っている
薫君(かおるのきみ)は、比叡山の奥の横川の僧都(よこかわのそうず)を訪ね、小野で出家した女性について詳しく尋ねた
浮舟(うきふね)に違いないと確信した薫君は、夢のような想いがして涙を流す
その様子を見た僧都は、浮舟を出家させたことを後悔した
薫君は、僧都に浮舟のいる小野への案内を頼むが、僧都は出家した浮舟の立場を思い、
「今は難しいが来月ならご案内できるかもしれない」と答える
薫君は、浮舟への口添え文を僧都に懇願して書いてもらう
その夜、横川から下山する薫君一行の松明の火が小野の庵からも見えた
妹尼たちが薫君の噂をする中、浮舟は薫君との思い出を払うように念仏を唱える
翌日、薫君は、浮舟の異父弟の小君(こぎみ)に、自分の手紙を持って小野を訪れさせた
朝早くに、僧都から前日の事情を知らせる手紙が届いており、妹尼たちが浮舟の素性に驚いていたところだった
小君が持参した僧都の手紙には、薫君との復縁と還俗の勧めがほのめかされていた
簾(すだれ)越しに異父弟の姿を見た浮舟は、肉親の情がわき動揺するが、心を崩さず、妹尼のとりなしにも応じず、
小君との対面も拒んで、薫君の手紙も「人違いだったらいけない」と言って受け取ろうとしなかった
むなしく帰京した小君から「対面もできず、返事ももらえなかた」と聞いた薫君は、自分が浮舟を宇治に隠していたように
誰かが浮舟を小野に隠しているのではないかと思うのだった
「法の師(のりのし)と たづぬる道をしるべにして 思はぬ山に踏み惑うかな」
<夢浮橋>
「源氏物語」の多くの巻名が本文中にある言葉や歌の中から取られているが、
「夢浮橋」という言葉は本文中には見られない
別称の「法の師(のりのし)」
薫君の歌「法の師と尋ぬる道をしるべにて思はぬ山に踏み惑ふかな」にちなむ
<夢浮橋之古蹟碑>
宇治橋西詰の観光案内所の向かって右側横に石碑が立っている
紫式部像の手前にある
「浮橋」とは、筏(いかだ)や舟を水上に浮かべ、その上に板を渡しただけの橋
いつ流されるか分からない「はかない橋」で、源氏物語の「無常感」を象徴しているといわれる
「宇治十帖」は、「橋姫」で始まって「夢浮橋」で終わり、宇治川の流れと橋は物語に欠かせないものとなっている
<開けたままの終結>
「源氏物語」の最終巻の終わりにも関わらず、物語上の区切りでも何でもないところでいきなり終わっているように見える
構想通りの完結なのか、何らかの事情で中断してしまったのかの議論がある