椎本之古蹟(しいがもとのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「椎本(しいがもと)」は、「源氏物語」第46帖、宇治十帖の第2帖
風と水の神さんの諏訪明神を祀った彼方神社が「椎本」の古蹟とされる
2月20日ごろ、匂宮(におうのみや)は、初瀬詣の長谷寺からの帰りに宇治の夕霧左大臣の別荘に立ち寄る
薫君(かおるのきみ)から話を聞いていた宇治の大君と中君の2人の姫君たちに関心があったからである
匂宮は、薫君や夕霧の子息たちと、碁や双六をしたり琴を弾いたりして楽しだ
宇治川を挟んだ対岸にある八の宮邸にもその賑やかな管弦の音が響き、
八の宮(はちのみや)は、昔の宮中での栄華の日々を思い出していた
翌日、八の宮は、薫君に歌を送り、それを見た匂宮が代わりに返歌をする
匂宮は、帰京後も度々、宇治に歌を送るようになり、八の宮はその返歌をいつも妹の中君(なかのきみ)に書かせていた
今年が厄年にあたる八の宮は、薫君に姫君たちの後見を依頼し、
姫君たちには、軽々しく結婚して宇治を離れて俗世に恥をさらさないよう、この山里で一生を過ごすのがよいと戒めていた
8月20日頃、八の宮は、宇治の阿闇梨(あざり)の山寺に出かけて、そこで亡くなる
訃報を知った姫君たちは、父親の遺体との対面を望むが、阿闍梨に厳しく断られる
薫君や匂宮が弔問に八の宮邸を訪れるが、悲しみに沈む姫君たちはなかなか心を開かなかった
薫君は、故八の宮を偲んで歌を詠む
「たちよらむ 蔭(かげ)と頼みし 椎が本 むなしき床(とこ)に なりにけるかな」
年の暮れの雪の日、宇治を訪れた薫君は大君(おおいきみ)と会い、匂宮と中君の縁談を話つつ
自分の恋心も訴え、京に迎えたいと申し出るが、大君は取り合わなかった
翌年の春、匂宮は、中君への思いをさらに募らすようになり、夕霧の娘の六の君(ろくのきみ)との縁談にも気が進まない
また、薫君も、自邸の三条宮が焼失した後始末などで、なかなか宇治を訪れられなかった
夏、宇治を訪れた薫君は、喪服姿の姫君たちを垣間見て、大君の美しさにますます惹かれてゆく
<椎本>
薫君が、故八の宮を偲んで詠んだ
「たちよらむ 蔭(かげ)と頼みし 椎が本 むなしき床(とこ)に なりにけるかな」にちなむ
<彼方神社(おちかたじんじゃ)>
祭神は、風と水の神さんの諏訪明神
式内社とされ、平安時代には大きな神社であったといわれる
八の宮と匂宮が和歌を何度か交換するが、その和歌に「遠方(おち)」という語が含まれていることから
「彼方(おちかた)神社」が古蹟とされたといわれる
「彼方」とは、川の流れ落ちる方向「落方(おちかた)」から転化されたといわれる
八の宮
「山風に霞吹きとく声はあれど 隔てて見ゆる遠方の白波」
匂宮
「遠方こちの汀に波は隔つとも なほ吹きかよへ宇治の川風」
<平等院>
夕霧の別荘は、宇治川の岸辺、京の向こう岸にあることから、平等院がモデルといわれている