早蕨之古蹟(さわらびのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「早蕨(さわらび)」は、「源氏物語」第48帖、宇治十帖の第4帖
宇治上神社の北側のさわらびの道沿いに石碑が2つ立っている
宇治の山荘にも、また春が訪れる
父親の八の宮(はちのみや)と姉の大君(おおいきみ)を続けて亡くして寂しい日々を送る中君(なかのきみ)の元に、
例年通り、父の法の師だった宇治山の阿闍梨(あざり)から蕨や土筆(つくし)が届けられた
中君は、阿闍梨の心づくしに涙を落とし、亡き父君や姉君を偲びつつ
「この春は たれにか見せむ亡き人の 形見に摘める 嶺の早蕨」と返歌する
2月の上旬、匂宮(におうのみや)は、宇治通いが困難なので、中君を二条院に迎えることにする
後見人の薫君(かおるのきみ)は、中君のために上京の準備に心を配る
上京の前日、薫君は宇治を訪れ、中君と、大君の思い出を夜更けまで語り合った
薫君は、大君の亡き面影を偲び、匂宮の元へ移る中君がいまさらながら惜しく、後悔の念にかられた
老女房の弁は、大君の死後、尼になっていたが、このまま宇治に留まる決心をしていた
2月7日に二条院に迎えられた中君は、匂宮から手厚く扱われ、幸福な日々が続く
それを知った夕霧左大臣は、娘の六の君(ろくのきみ)と匂宮との結婚を目論んでいたため失望し、
20日過ぎに、六の君の裳着(もぎ)を行い、薫君との縁組を打診する
大君の面影を追う薫君は、やんわりと辞退する
桜の盛りのころ、薫君は、二条院を再々訪れては、中君と語り合った
中君に親しく近づく薫君に、匂宮は警戒を抱きはじめる
<早蕨>
中君が、父の法の師だった阿闍梨から、例年通り、蕨や土筆(つくし)が届けられた心づくしに涙を落とし、
亡き父君や姉君を偲びつつ詠った
「この春は たれにか見せむ亡き人の 形見に摘める 嶺の早蕨」にちなむ
<早蕨(さわらび)>
「早蕨」とは、芽を出したばかりのワラビのこと
あるいは、平安時代以降、公家の衣服の表地と裏地や、衣服を重ねて着たときの色の取り合わせで、
表は紫、裏は青のもので、春に用いられる色目
<早蕨之古蹟碑>
宇治上神社の北側のさわらびの道沿いに石碑が2つ立っている
近くの宇治神社と宇治上神社には、八の宮のモデルといわれる莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)が祀られている
平等院の対岸でもあることから、付近一帯が八宮邸跡と想定され、早蕨の古蹟とされてきたといわれる