東屋之古蹟(あずまやのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「東屋(あずまや)」は、「源氏物語」第50帖、宇治十帖の第6帖
東屋観音の境内に、東屋(あずまや)の古蹟の石碑がある
薫君(かおるのきみ)は、亡き大君(おおいきみ)の生き写しの浮舟(うきふね)に関心を持ちつつも、
受領の継娘という身分の低さにためらっていた
浮舟の母の中将の君も、身分違いの縁談に消極的だった
浮舟は、八の宮とその女房であった中将の君との間に生まれた娘だったが、八の宮には認知されなかった
中将の君は、まもなく浮舟を連れて陸奥守(後の常陸介)と再婚し、東国に長く下っていた
常陸介(ひたちのすけ)との間にも多の子供がいたが、高貴の血を引いて美しい浮舟をことさら大事に育て、
良縁を願っていた
受領であり裕福な常陸介のところには、多くの求婚者が訪れる
20歳を過ぎた浮舟は、左近少将(さこんのしょうしょう)と婚約をしたが、財産目当てだった左近少将は、
浮舟が常陸介の実子でないと知り、常陸介の実の娘である義妹と結婚してしまう
浮舟を不憫に思った中将の君は、浮舟を二条院の中君(なかのきみ)のもとに預けに行く
西対(にしのたい)にいる浮舟を、匂宮(におうのみや)が偶然見つけ、その美しさに早速に強引に言い寄っていく
それを聞いた中将の君は慌てて、浮舟を三条の小家(こいえ)に隠す
9月の晩秋、薫君は、弁尼(べんのあま)から、浮舟が三条の隠れ家にいることを知り、ある時雨模様の夜に小家を訪れる
「さしとむる葎(むぐら)やしげき東屋の あまり程ふる雨そそぎかな」
そして翌朝、薫君は、浮舟を車で宇治に連れて行く
浮舟の不安をよそに、彼女に大君の面影を見る薫君は、大君を偲びつつ今後の浮舟とのことに思い悩む
<東屋>
薫君が、ある時雨模様の夜に、浮舟の隠れ家を訪れたときに詠んだ歌
「さしとむるむぐらやしげき 東屋のあまりほどふる雨そそきかな」にちなむ
(東屋に葎(むぐら)(雑草)が生い茂って戸口を塞いでしまっている、あまりに長い間、雨だれの落ちる中で待たされるものだ)
<東屋(あずまや)>
東国風のひなびた住まい
庭園や公園に設けられた休憩用の小さな建物などのこと
<東屋之古蹟碑>
東屋観音の境内に、東屋(あずまや)の古蹟の石碑がある
東屋観音は、花崗岩に厚肉彫りされた聖観音菩薩坐像(宇治市指定文化財)
鎌倉時代後期の作品といわれる
この観音菩薩像が東屋の古蹟になったのかは不詳