浮舟之古蹟(うきふねのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「浮舟(うきふね)」は、「源氏物語」第51帖、宇治十帖の第7帖
三室戸寺の境内の鐘楼横に、浮舟之古蹟碑がある
薫君(かおるのきみ)は、浮舟(うきふね)を宇治の山荘に放置したまま、訪れるのも度々のことだった
一方、匂宮(におうのみや)は二条院で見かけた女性のことが忘れられないでいた
正月、匂宮は、中君(なかのきみ)のもとに届いた手紙を見て女性の居所を知り、薫君の邸の事情に通じている家臣に探らせ、
女性が薫君に囲まれて宇治に住んでいることを知る
匂宮は、ある夜、密かに宇治を訪れ、薫君を装って寝所に忍び入り、浮舟と強引に結ばれてしまう
浮舟は、人違いに気付き、重大な過失に失意するが、心は次第に情熱的な匂宮に惹かれていった
2月、ようやく宇治を訪れた薫君は、浮舟の思い悩む様子をみて女性として成長したものと誤解して喜び、
京へ迎える約束をする
宮中の詩宴の夜、浮舟を思って古歌を口ずさむ薫君の様子に焦りを覚えた匂宮は、
大雪の中、再び宇治に行き、浮舟を小舟に乗せ、橘(たちばな)の小島で遊び、宇治川の対岸の隠れ家へ連れ出し、
そこで二日間を過ごす
「橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ」
薫君は、浮舟を京に迎える準備を進めていた
匂宮は、その前に浮舟を引き取ろうと言う
浮舟は、何も知らずに上京の準備を手伝う母の中将の君にも苦悩を打ち明けることもできず、
宇治川の流れを耳にしながら悩む
ある日、宇治で薫君と匂宮の両者の使者が鉢合わせしたことから、浮舟の秘密が薫君に知られ、
宇治の邸は薫君によって警戒体制が敷かれる
浮舟は、薫君から恨みの歌を送られ、匂宮との板ばさみになって進退窮まり、ついに死を決意し、
薫君や匂宮、母親や中君のことを恋しく思いながら、浮舟は匂宮と母にだけ最後の手紙を書きしたためた
<浮舟>
薫君に囲い込まれていた浮舟が、匂宮に連れ出されて宇治川対岸の隠れ家へ向かう途中に詠んだ歌にちなむ
「橘の小島は色もかはらじを この浮舟ぞゆくへ知られぬ」
(橘の茂る小島の色のようにあなたの心は変わらないかも知れないけれど、
水に浮く小舟のような私の身は不安定でどこへ漂ってゆくかも知れない)
<浮舟之古蹟碑>
三室戸寺の境内の鐘楼横に、浮舟之古蹟碑がある
元々は、「浮舟杜」と称されていた「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)の墓」のあたりにあったが、
物語の中の浮舟と同じように、宇治川河畔から御仏に仕える場所へ移されることになる
<末多武利神社(またふり)>
宇治神社の西にある神社
周辺の地名を「又振(またふり)」という
浮舟が中君に送った歌
「まだ古りぬ 物にはあれど君がため 深き心に待つと知らなむ」
匂宮は、この「まだ古り」という文字から浮舟が宇治にいることを察知したといわれる
<浮舟>
光源氏(ひかるげんじ)の異母弟である宇治八の宮の三女
宇治の大君、中君の異母妹で、大君の生き写しといわれるぐらい似ていた
母親は、八の宮に仕えていた女房 中将の君(八の宮の北の方の姪)で、このため、父親の八の宮から娘と認知されなかった
20歳を過ぎた頃、左近少将(さこんのしょうしょう)と婚約するが、左近少将が財産目当てだったため破談する
浮舟に大君の面影を見る薫君により宇治で囲い込まれるが、薫君に装った匂宮と強引に結ばれてしまう
対照的な性格の薫君と匂宮の二人の貴人に愛され、板ばさみに苦しみ、自ら死を決意するが果たせず、
山で行き倒れている所を横川の僧都に救われる
その後、出家をして、薫君に自らの元に戻るよう勧められても、終始拒み続けた
<浮舟物語>
「宇治十帖」後半の「宿木」から「夢浮橋」の6帖にかけて登場する
<呼称>
本文中では「姫」「娘」「女」などと、様々な呼ばれ方をされており、「浮舟」とは呼ばれない
「浮舟」は、彼女が詠んだ和歌に因むもので、後の注釈などで初めて用いられた名前
注釈などでは「手習の君(てならいのきみ)」「東屋の君(あずまやのきみ)」とも称される
<謡曲「浮舟」>
夫 薫中将と兵部卿宮(匂の宮)との恋の間に揺れ迷う女性浮舟を描いた源氏物
旅僧が、初瀬から上洛の途中、宇治で一人の里女に会い、浮舟の物語を聞く
里女は、「自分は小野の里に住む者です」と言い、旅僧の訪問を期待して消え失せる
旅僧が、比叡山の麓の小野で読経して弔っていると、浮舟の霊が現れて、「宇治川に身を投げようとしたが
物の怪に捕らえられ、苦しんで正気を失ったところを横川の僧都に助けられた」という次第を物語る
旅僧の回向で、心の動揺も消えて都卒天に生まれかわると喜び、礼をいって消えて行く