蜻蛉之古蹟(かげろうのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「蜻蛉(かげろう」は、「源氏物語」第52帖、宇治十帖の第8帖
源氏物語ミュージアムの北側住宅地の中に、蜻蛉之古蹟碑がある
宇治の山荘は、浮舟(うきふね)の姿が見えなくなり、大騒ぎとなる
浮舟の事情をよく知る女房たちは、浮舟が宇治川に身を投げたものと思う
かけつけた浮舟の母親の中将の君は、真相を聞いて驚き悲しむ
世間体を繕うため、遺骸もないまま、その夜のうちに葬儀を行った
そのころ石山寺に参籠していた薫君(かおるのきみ)は、野辺送りの後に初めて訃報を知る
匂宮(におうのみや)は、悲しみのあまり、病気といって籠ってしまう
それを聞いた薫君は、浮舟は匂宮との過ちを悔いてのことと確信するが、浮舟を宇治に放置していたことを後悔して、
悲しみに暮れる
宇治を訪れた薫君は、悲しみに沈む中将の君を思いやって、浮舟の弟たちを庇護する約束をして慰め、
浮舟の四十九日の法要を宇治山の寺で盛大に行った
中君などからもお供え物が届けられ、浮舟の義父の常陸介は、このとき初めて継娘の浮舟が
自分の子供たちとは比較にならない素性だったと実感する
六条院では、明石の中宮が、故式部卿宮(光源氏)(宇治八の宮の兄)や紫上のために法華八講(ほっけはっこう)を催される
夏、匂宮は、気晴らしに新しい恋を始める
また、薫君も、たまたま垣間見た女一宮(明石の中宮の娘)に憧れるようになる
そのころ、光源氏の姫君が女一宮に出仕していた
女一宮は、「宮の君」と称され、東宮妃となるべく育てられており、かつては薫君との縁談もあり、薫君も関心を持ちはじめる
しかし、薫君は、やはり宇治の姫君たちが忘れられず、夕暮れに儚く(はかなく)飛び交う蜻蛉(かげろう)を眺めながら、
大君・中君・浮舟の三姉妹のことを想っていた
「ありと見て 手には取られず見れば又 ゆくへも知らず 消えし蜻蛉」
<蜻蛉>
薫君が、夕暮れに儚く飛び交う蜻蛉を眺めながら、大君・中君・浮舟の三姉妹のことを想って詠んだ歌にちなむ
「ありと見て 手には取られず見れば又 ゆくへも知らず 消えし蜻蛉」
<蜻蛉之古蹟碑>
源氏物語ミュージアムの北側住宅地の北東に伸びる道を進み、私立高校の手前の道を右折したところにある
「かげろう石」と称される線刻阿弥陀三尊石仏(宇治市指定文化財)
高さ2mほどの自然石に、それぞれの面には阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩・
阿弥陀如来を拝む十二単を着た女性が彫られている
平安時代後期の作といわれる
この道は、古くから宇治橋と三室戸寺の近道として利用され、辺り一帯の耕野は「蜻蛉野」と称されている
「宇治名所図会」(江戸時代)などにも、草原の中の一本道と、道沿い立つげろう石が描かれている