手習之古蹟(てならいのこせき)は、源氏物語後半の宇治を舞台に描かれた宇治十帖のゆかりの地の一つ
「手習(てならい)」は、「源氏物語」第53帖、宇治十帖の第9帖
宇治橋から府道京都宇治線を三室戸の方向に500mほどのところに手習之古蹟碑が立っている
薫君(かおるのきみ)と匂宮(におうのみや)との板ばさみで追い詰められ自殺を図った浮舟(うきふね)は、
宇治川沿いの宇治院の森の大木の根元に昏睡状態で倒れていた
たまたま通りかかった比叡山の横川(よかわ)の僧都(そうず)一行に発見されて救われる
僧都は、80余歳になる母尼(ははあま)が、50余歳になる僧都の妹尼(いもうとあま)と初瀬詣(はつせもうで)に出かけ、
長谷寺からの帰途に、宇治で急病で倒れたため、僧都が介護のため比叡山から下りてきていた
数年前に娘を亡くした妹尼は、浮舟を初瀬観音菩薩からの授かりものと喜び、実の娘のように手厚く看護した
妹尼らは、浮舟を比叡山の麓の小野の庵に連れて帰った
夏の終わり頃
浮舟はようやく意識を回復するが、死に損なったことを知ると「尼になしたまひてよ」と出家を懇願するようになる
浮舟は、世話をしてくれる妹尼たちにも頑なに心を閉ざし、身の上も語らず、物思いに沈んでは手習にしたためて日を過ごした
「身を投げし涙の川の早き瀬を しがらみかけて誰かとどめし」
妹尼の亡き娘の婿だった近衛中将が、妻を偲んで小野の庵を訪れてくる
妹尼は、この中将と浮舟を結ばせたいと気を揉んでいた
中将は、浮舟の美しい姿を見て心を動かし、しきりに言い寄るようになるが、浮舟は頑なに拒み続ける
9月、浮舟は、妹尼たちが初瀬詣での留守中、折りよく下山してきた僧都に懇願して出家してしまう
帰って来た妹尼は驚き悲しむが、尼になった浮舟はようやく心に安らぎを得た思いを感じる
翌春、浮舟のことは、都に行った僧都から明石の中宮へ伝わり、そして、薫君にも伝わっていく
薫君は事実を確かめるたに、浮舟の異父弟の小君(こぎみ)を連れて、横川の僧都を訪ねていく
<手習>
浮舟が宇治川の近くで助けられた僧都の妹尼のもとで看護され、物思いに沈んでは手習をして日々を過ごしたことにちなむ
<手習之古蹟碑>
宇治橋から府道京都宇治線を三室戸の方向に500mほどのところ介護施設の前にある
「手習の杜」と彫られた石碑がある
石碑は手習に使う筆の穂先のような形をしている
大きな梛(なぎ)の木に寄り添うように立ち、大木の下で助けられた浮舟を連想させられる
浮舟が宇治川に身を投げたあと、宇治院の森の大木の下で僧都に助けられたところと想定されている
かつては、手習の杜に、観音堂があり、祀られていた木造 聖観音菩薩立像が「手習観音」と称されていた
<横川の僧都(よかわのそうづ)>
この「手習」から登場する比叡山の高僧の横川の僧都は、当時の平安貴族に人気の高かった
恵心僧都 源信がモデルといわれる