明智光秀の塚(あけちみつひでのつか)は、三条通・白川橋を下ったところにある小祠
明智光秀の首塚とも称され、石塔が立てられている
梅宮社(うめみやしゃ)として、明智祠が立っている
首より上の病にご利益があるといわれる
<光秀祠>
明智光秀木像が祀られている
<五重石塔>
1845年(皇紀2505)弘化2年の銘がある
五輪塔の笠石5個を集めている
花崗岩
<長存寺殿明窓玄智大禅定門の石碑>
1903年(皇紀2563)明治36年
明智光秀の戒名「長存寺殿明窓玄智禅定門」と刻んだ墓石(石碑)が建てられ供養されたといわれる
高さ約1m、土台は貴船石、碑は鞍馬石
<梅宮社>
詳細は不詳
別称:東梅宮
梅宮大社の分霊を祀ったといわれ「東梅宮」とも称される
かつて、尊勝院(東山区)の旧境内にあり、鎮守社として祀られていた
祇園社の末社だったといわれる
白川沿いには石碑が建てられている
<溝尾茂朝>
明智五宿老の一人
敗走中の小栗栖で、重傷を負った明智光秀の命令で介錯を務め、
明智光秀の首を近くの竹薮に埋めたとも、丹波亀山の谷性寺まで持ち帰ったとも、坂本城まで持ち帰ったともいわれる
<明智光秀の首塚>
腹心が、明智光秀の首を持ち帰り、知恩院前まで来た時に夜が明け、この地に埋めたともいわれる
<谷性寺>
明智光秀が、谷性寺の不動明王を厚く敬ったといわれる
ここにも光秀の首塚があり、明智光秀の無量顕彰と慰霊のために立てられた七重石塔がある