班女塚(はんしょうづか)は、高辻通室町通にある繁昌神社の北西にある塚
平安時代に長門前司の娘を葬った塚といわれており、
「宇治拾遺物語」の「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」という故事に由来が記されている
繁昌神社の北西にある塚
元々繁昌神社があったところといわれる
二間四方ぐらいの空地の中央に、赤っぽい大きな岩があり、小さな祠がある
<繁昌神社>
弁財天(針才女(はりさいじょ))を祀った神社で、「班女神社」と称されていた
「宇治拾遺物語」第三巻「長門前司女、葬送の時、本所にかえる事」に故事がある
高辻室町付近の前長門国守に2人の娘がおり、姉は早くに嫁に嫁いで高辻室町に住んでいたが、
妹は、宮仕えを辞めて家に戻り、夫もいなく、ときどき通ってくる男と、寝殿の南面の西にあたる妻戸口のところで語らいをしていた
その妹が、28歳になった頃、重い病気にかかり亡くなってしまう
妹がいつもくつろいでいた妻戸口に寝かせていた遺体を、棺に納めて鳥辺野の墓地へ運んでいくが、
着いてみると、棺が軽く、蓋が少し開いており、棺の中の遺体がなくなっていた
辺りを探したが遺体は見つからず、家に戻ってみると、遺体は妻戸口に元のような格好で寝ていた
翌日、もう一度、遺体を棺に納めて鳥辺野の墓地へ運ぶが、いつの間にか、同じように家の妻戸口に戻っていた
その翌日、遺体を棺の中へ入れようとすると、全く動かせなかった
「これは死んでもここに居たいのだろう」と思い、妻戸口の板敷きを剥がし、そこに遺体を埋めて高々と塚を築いたといわれる
その後、家の者や姉も他所に引っ越し、近所の人々も徐々に去っていき、すっかり荒れ果てて塚だけが残った
「宇治拾遺物語」巻三の十五には「高辻より北、室町より西、高辻表に六七間がほどは小家もなくて・・・」と記されている
<班女とは>
中国に、男に捨てられた女性「班女(はんじょ)」の故事がある
針才女(はりさいじょ)(弁財天)が転訛したものともいわれる